石寺真澄さんから食事のお誘いをうけた。
小伝馬町の顔役なので、即座に下町は人形町でとお返事したところ、なら「かつ好」あたりはどうかしら、という答えが返ってきた。このところ上野あたりの豚カツの堕落に遭遇しているので、人形町なら暖簾をまもって、しっかりしたかつが期待できそうだ。
選び抜かれた豚に豚コレラなどあろうはずもない。期待とともに人形町にタクシーを飛ばした。小路を入ったところにひっそりとある「かつ好」は狭い間口にしっかりと時代を感じさせる大戸が構え、豚カツのお店とはとても思えない風格が漂っていた。
下町っ子の粋な石寺さんは、当然の如くに一階のカウンターを予約して下さっていた。ざっくりとした焼杉とピカピカに手入れされた銅の鈍いひかりに思わず生唾をのみこんでご主人の仕事に対座した。
「肉を見る」「粉を見る」「油を見る」絶好の席で下町の午餐がはじまった。
観音さんの帰り道、水天宮さんの帰り道、縁起をかついで「かつ」を食べた江戸っ子の心意気が生きている。銀座あたりの洋食屋で、フランス渡りのコートレットが起源ですといわれるより、江戸っ子のゲン担ぎで、宮参りのあとに必ず食べたもんです、と言われた方がはるかに気分がいい。
お客さんお好みはどっちで、と言われればロースに決まっている。女性の好むヒレではたよりない。車エビもしゃぶ巻きもあります。牡蠣は来月からです。110g、150g、200g、250g、お腹の具合はどうですか。歯医者の帰りなので110g、それと車海老も一匹、玉ねぎサラダも美味しいわよ、の半畳にひっぱられ、目の前の銅の大鍋の油の美しさに魅せられて、食べきれずおみやを作っていただく破目になった。
御主人の立派な鱧切り包丁で、サクッと仕上げた豚カツの見事さが、瞼と胃袋に焼き付いた。
人形町「かつ好」を食べる
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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