踊る「まいたけ」

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 そろそろ里山に茸が顔を出す季節になってきた。
 昨年は軽井沢の別荘族に参入した知人の歓迎をかねて、別所平の松茸山にでかけた。たくさんの松茸に舌鼓をうち満足したのだが、山小屋のなかはカメムシの天国であり、松茸のてんぷらにカメムシを払い、松茸の鍋にカメムシを遠ざけ、松茸ご飯にカメムシを追い出しながらの悪戦苦闘だった。松茸は喰いたいが、カメムシは要らないという訳で、目下考慮中である。
 舞茸について面白い記述があった。
 今は昔、京に住むキコリが仲間とともに山へはいった。すると山奥から美しい尼さんが数人舞い踊りながら降りてきた。キコリ達は一瞬凍りつき、鬼の仕業か天狗のイタズラかと疑がったが、尼さんたちはますます陽気に踊りながら近ずいてきた。キコリは思い切って踊る尼さんに尋ねると、「私たちは妖しいものではありません。京の何処そこに住む尼で、花を摘んで仏に供えようと連れ立って山に入ったのです。道に迷い立ち往生していたところ、キノコが生えていたのでおもわず食べてしまいました。少し食べて余りの美味しさに焼いてたべたところ、身体が踊らずにいられなくなったのです。」キコリ達もお腹がすいていたので焼き茸に手をだしたら、その気もないのに踊りだし、尼さんともどもキコリ達も楽しく笑いあいながら踊り狂った。暫らくたって吾に帰ると、それぞれの家に帰っていた。
 それからその茸は「舞茸」という名でばれるようになったというお話。
 舞茸はついこの間まで珍しいキノコで、なかなかお目にかかれなかったが、長野ではホクトなどの努力で市場にでまわるようになった。
 血圧をさげ、糖尿病の予防に役立ち、心臓機能の助けにもなるという貴重な山の恵みである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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