剛力彩芽の無知と欲望

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 ITビジネスで派手な経営をし、世にパフォーマンスを見せつける人を信じない、というのは一般常識かと思っていたが、芸能界では反対のようだ。とくに女優と女子アナは、そうした行為をみせつけられると簡単に落城する。
 「現代アート、聖地巡礼」取材のためパリへ。ZOZOの前澤友作は毎回お気に入りの女優をともなって海外のアーティストをたずねる企画だった。米倉涼子、栗山千明、広瀬アリスなどなど、幻冬舎の雑誌企画に便乗して前澤は女優漁りをしていた。往復彼のプライベート・ジェットで行く、というところが味噌だが、前澤にとっては女達への承認欲求最大の手段だった。
 先ずZOZOの広報担当の女性がひっかかった。彼女は彼との間に二人の男の子を生んだといわれている。
 二人目は東京ガールズコレクションにモデル派遣をしていた女性、彼女はひとりの子供を産んだ。「結婚はしない。未婚の母親でいいのか、」と言われても、彼の財力に一生を託した二人の女がいた。
 間もなく「俺の宣伝のために紗栄子と付き合うから…」そんな言訳といもに、紗栄子とのスキャンダルは前澤友作を一気に有名人にした。それとともにZOZOという通販サイトの話題もふくらんだ。紗栄子は彼との交友を隠すことなく、プライベートジェットでのデートをSNS上に次々とアップしていた。
 そんな前澤の女漁りの頂点が剛力彩芽だった。オスカー社長の異常なこだわりで、剛力はコマーシャルの女王になったが、ドラマではまったく成功しなかった。カン違いの踊り自慢で、タイトルシーンなどやらせたが、踊り過ぎるばかりでスターの踊りにならない。
 そんな時、前澤からの「現代アート、聖地巡礼」のお誘いは、剛力にとってチャンスの神様にうつったのだろう。プライベートジェットでのロス取材を終えたのち、「これからフロリダに飛んで、宇宙旅行の契約サインをしに行くんだけど、一緒にこない?」異国での契約サインを見せつけられた剛力は、その瞬間に恋に堕ちたと伝えられる。
 前澤の手練手管に翻弄された剛力の人気はあっという間に坂道を転がるように堕ちた。 12本あったCMはゼロとなり、プロデューサーは誰も彼女を使おうとしなくなった。
 その頃ZOZOにじわじわと危機が迫っていた。社長の乱脈ぶりにオンワードを始め大手のファッション・メーカーが手を引き出した。前澤友作はヤフーの孫正義に泣きつき、会社をひきとってもらった。あちこちに買い散らかした不動産も、ボンバルディアのジェット機も、バスキアの絵画も、リシャール・ミルの腕時計もまもなく総てを手放さなければならない。自社に買い取らせた株式は、背任行為の証拠として刑務所送りの動かぬ証拠となる。
 その時、剛力彩芽はなんと言訳するのか、彼女に内在する無知と欲望と破廉恥があらわになる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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