Kバレエによるカルミナ・ブラーナを観た。
カール・オルフによる世俗的カンタータが異常に好きだ、という理由からでもある。バッハの昔からあるカンタータに対して、もっとも新しいこのオルフの作品は、怒涛の合唱と独唱と打楽器群を中心にしたオケの表現が、極端にダイナミックで魂を揺さぶられるからだ。、
オルフのこの曲には、威狂った大自然やコンクリートに固められた都市文明を吹き飛ばす、哲学にみちた音の世界がある。
心配した東フィルも、新国立劇場合唱団も見事な演奏で答えてくれた。称賛すべきは指揮のバッティストーニ、明確な棒で、この世俗カンタータの輪郭をえがいた。
さて真ん中にきた熊川哲也の振付・演出だが、音楽に負けたというのが正直な感想である。
始まりの女神と悪魔の交歓が、千手観音のごときモチーフに始まったが、形にとらわれたダンサーが、存在よりテクニックに左右されたとこからモダン・バレエのマテリアルを失い、ストーリー・バレエのクラシックを想起させた。
群衆も貧弱な存在で悪魔に立ち向かう迫力もなく、着衣でも裸体にかわってもなんの変化もない存在だった。上半身むきだしになっても人間が剥き出しにならない不思議な群れのコールドでは、オルフに勝てない。
ベジャール以来、多くの群舞表現に恵まれたバレエ界だが、振付師の不勉強なのかもしれない。ここ数年折に触れて観ているパリオペラ座バレエ団の人間表現には遠く及ばない現実をみせつけられた。
たくましい肉体は勿論のこと、より世界観をもち、人生観をもったバレエ・ダンサーがでてこないとこうした作品は完成しない。Kバレエには、ないものねだりなのかもしれない。
カルミナ・ブラーナはパリ・ガルニエ宮でこそのレパートリーと認識した。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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