犯人は太陽光発電である。
「日本の未来に貢献する」とはなやかに打ち出した太陽光発電、建売の新築の屋根にのせて、電気代がやすくなりますとチラシ営業している頃はまだしも、大手企業が金儲けを企んで、全国の山林に眼をつけて事業展開をするようになると、問題が次々と噴出してきた。
福島原発事故のあと、当分使用不能になった山林は、業者の高値につられてあちこちが太陽光発電所になった。
太陽光発電を始めれば、荒廃した山を宝の山に変えられます。キャッチフレーズに乗った地元民が見た夢が、あっという間にかわってしまった十王川、毎年春にイワナやヤマメを放流して釣り客を誘致、200人の組合員は日釣り券の売上げで生活のたしにしてきた。
ところが川に放った小魚たちが一匹残らず死んでしまったのだ。稚魚たちはエラに工事の土砂がつまって窒息死してしまった。
粘土質の泥で川は死に、田圃にも土砂が流れこんで、農民の生活は一変、施工主の京セラから120万円の補償が漁協に支払われただけで、なしのつぶて。
県の指導では、山林を伐採すると山の保水力がなくなるので、まず調整池を作れ、ということだったが施工主は無視、出た泥水をそのまま川にながすという暴挙にでた。業者は経験にとぼしく、目先のソロバンだけがたよりのフロント企業だった。
再生可能エネルギーという言葉に浮かされる前に、工事の安全性や自然破壊について考えねばならない。
軽井沢発地の山の上にも何万坪かの太陽光発電所があるが、当時のキャッチ・フレーズに踊らされ賛成した町議会、あとになって困ったことにならなければいいが、少々心配である。
イワナもヤマメも死んだ
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す