江戸っ子にとっての美食は、すし・天ぷら・蕎麦・うなぎ に尽きる。
軽井沢には寿司と蕎麦の名店はあるが、天ぷらとうなぎは見当たらない。必然的に東京に出掛けた時は、天ぷらかうなぎになる。銀座並木通りにはてんぷら近藤があるし、吉兆の一筋違いにはうなぎ竹葉亭の本店がある。暑さとともに主役はうなぎになる。
テレビでは中国産と国産の味比べを盛んにやっているが、元来江戸前という呼称はうなぎに始まっている。
うなぎは「江戸前」を上品といい、それ以外を「旅うなぎ」とよんで下品としていた。それ故、江戸うなぎは高級ブランドうなぎであり、今でいう大間のマグロや関アジのごとく、地産地消の上等珍品だった。参勤交代で江戸にやってくる田舎武士は、ひそかに江戸前の大かばやきを楽しみにしていたといわれている。
五代将軍綱吉の生類憐みの令により、うなぎもどぜうも商いができなくなった。熊や猿もおなじ命だからと、犬猫を抱えたおばさんたちの動物愛護とかわらない。幕府の取締りが強くなると、「あなご」と称してうなぎをだす反権力の茶店も出てきた。
こうした鰻好きの江戸っ子を救ったのは、綱吉の死去だった。生類憐みの令はたちまちに破棄され、深川八幡の御門前にはふたたび江戸前大かばやきの旗が翻った。
享保13年の江戸大洪水のお蔭で、江戸のそこらじゅうで、うなぎがとれるようになった。なかでも隅田川と深川の掘割あたりは育ちのいい鰻があがった。それまで鰻は上方好みの腹開きだったが、江戸の侍にとって腹開きは切腹を連想させるので背開きとなり、江戸前大かば焼が完成した。
さて土用の丑の今日は、パリの野田岩よりはるかに美味い到来ものの野田岩に、つや姫のごはんで夏バテ防止といこう。
生類憐みの令から復活をとげた「江戸前大かばやき」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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