藤舎名生 ようやく人間国宝に

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 その笛の一瞬によってボストン美術館劇場の空気が裂けた。
 フェスティバル・ホール2000人の観客が凍りついた。ローマ法王も、天の音を聞いたと賛美した。 それほど藤舎名生の笛は凄い。静寂から天地鳴動のふり幅が、西洋楽器の表現を軽く蹴散らす。フルートもオーボエもかなわない。
 その笛に出会ったのは、初めて日本の空にジャンボジェットが飛んだ時だった。その飛行機に乗り込み、香港で日中合作のショウをやりたいので、演出をして欲しいというプロポーズだった。香港では、中国の伝統楽器オーケストラが待ち構えているので、という要請だった。
 当時海外で演奏されるにほんの音と言えば、お琴に三味線と決まっていたが、その趣味にはとても付いていけないので、打ち物の堅田喜佐久さんに相談した。その時堅田さんが、京都に凄い笛の若手が現われ話題になっている、一度会ってみたらということだった。
 香港では、30人ちかい中国合奏団にたいし、笛と鼓のわずかフタツの日本伝統楽器で舞台づくりをし、見事に中国を圧倒した。
 その後、多くのファッション・ショウや、東大寺の昭和大納経、あるいは軽井沢朗読座の舞台など、数えきれないほどの演奏協力をいただいた。人柄と心を蕩けさせる笛の力で女性にはメッポウもてた。そのため楽屋では、名生さんに近寄るとニンシンするよ、と嫉妬まじりの噂が乱れ飛んでいた。
 都をどりの楽屋でも、笛のおしょさんは藤舎名生、普段見ることのない真面目顔で、芸妓さんと向き合う名生さんがいる。
 堅田喜佐久さんは10年も前に人間国宝となったが、藤舎名生さんはようやく二日前に人間国宝になった。その演奏を知っている人間は、30年遅いよ、と叫んでいる。
     ……おめでとうございます。いつまでも元気で奇跡の笛を聞かせてください。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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