祇園が火事で燃えている

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 祇園で火事が起きた。
 東山区祇園町南側である。四条通りを挟んで南側の町家群のことをいう。もちろん北側にも祇園町はあるが少しばかり表情が異なる。
 北側には「おしょさん」つまり京舞井上流の井上八千代さんの家やお稽古場、お茶屋では冨美代さん、房の家さんなど、しばじばテレビに登場する巽橋とお稽古の行き帰りに舞妓さんがお参りする辰巳大明神があり、白川が流れている。
 南側には一力さん、廣島家さん、多麻さん、始め多くのお茶屋さん、そしてなによりも祇園歌舞練場があり、建仁寺の方丈がひかえている。
その南北の祇園町を貫いているのが花見小路、歴史的保存地域に指定されているその真ん中で火事が起きた。
 相方がお茶の稽古をしている家は一筋東だが、その夜から翌日まで電話の集中豪雨が押寄せた。近火お見舞いと親切な野次馬である。
 軽井沢にいて祇園の火事が手にとるようにわかる。テレビでは火元は祇園のどこそことヘイト・ニュースを流している。
 あまりの近さでみな一斉に浮足だった。お茶屋にはまだ客がいる時間だったので、あわてた女将さんは客を帰し、芸妓、舞妓たちも小走りに館に帰った。
 木造の古い家が多いので延焼が怖く、みな真っ青になって火の粉の行方を見守ったり、突然バケツに水を汲んでいたらしい。料理やの川上さんは裏隣だったので、消防に二階からの消火を依頼して家中泥だらけ、土石流に襲われた状態で後始末に茫然としているとか。                                                                           お茶屋の女将さんたちは、ご先祖様のご位牌と過去帳、なによりも大事な貯金通帳を抱いて露地でそわそわ、舞妓は高価な衣裳をぬぎ、薄汚れた縫いぐるみを抱いてジーパンでそわそわ。
 いかにも女ならではの祇園町らしい火災事件であった。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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