「水無月」のお菓子

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 6月30日には否応なしにたべなければならない。
相方は虎屋さんでしつらえた「水無月」をもってかえってきた。
 「水無月」とは、ういろうの上に小豆ののった行事菓子である。
この菓子を食べてきたり来る夏に供える。夏バテを防ぐ意味と、それまでの罪や穢れを落とすという両面の信仰がこめられている。室町時代のころには宮中で行われていた行事にちなんでいる。宮中では「氷」をたべていたが、当時の氷はとても高価で庶民には手がでなかった。そこで氷ににた三角のういろうに魔除けの小豆をのせて食べるようになったと伝えられている。
 軽井沢には「水無月」をつくっている和菓子やさんはない、仕方なく赤坂までいくのだ。
 この日神社では大きな茅の輪をつくり、茅の輪くぐりをする。8の字に3回くぐると千歳の命がのびるといわれる。そんなこと知らなかった舞妓ちゃんが、神妙な顔で祇園さんにお参りしているのは、なんとも微笑ましい。
 茅の輪も軽井沢では見ない。やはりキリスト教が入ってきたため、神社における信仰行事が弾圧されたのかもしれない。なにしろ日曜日に店をあけていると、安息日だから閉めろ、と牧師にいわれ、表は閉めて裏口で営業していたという町柄なのだから。
 近年の乱暴な暑さにたいし、学校の冷房は結構だが、夏越しの祓いのような伝統行事も子供たちには知って欲しい。日本人の自然との付き合い方がここに生きている。
 20本の国旗を並べたらその前に大きな茅の輪を造るべきなのだ。これが日本だから。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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