芸能人には区別がない。差別ではなく、区別である。
もう少し親切に表現すれば、プロの芸能人とアマチュアの芸能人の区別がつきにくいのだ。
生活のできる芸能人はプロの芸能人といえるが、生活のできない芸能人はプロとはいいにくい。が、どこからがプロの芸能人で、どこからがアマチュアか、外形的には判別不能なのが、芸能の世界である。
10代ならば、アイドルと呼ばれる芸能人、具体的にはAKBやら乃木坂やらの束ねて商売をしている秋元商会の女子メンバー。ジャニー、メリー姉弟のもとで商品化された若い男たち、20代ならテレビ局所属の女子アナ達も金次第でどうにでもなる芸人並み。さらに西の吉本、東のわたなべをはじめとする芸人たち、三軒茶屋や下北沢で果てのない苦労している役者たち、みな芸能人だが、みな芸能人にあらざる生活をしている。
芸能人として高額の収入に恵まれるのはほんのひとにぎりだ。運と実力と神様が偶然に出会わないと、芸能人は生まれない。
嘘のアイドルの逃亡先はキャバクラだ。キャバクラで暮らしをたて、キャバクラで男の騙し方をおぼえる。だから握手会のテクニックで、若いファンをメロメロにする。
フリーの女子アナも水商売が圧倒的に多い、なぜならお仕事が入ったら何時でも休めないと困るから。その面から結婚式の司会は女子アナ達の主戦場である。
芸人は悲惨だ。村祭りのゲストとしてはギャラが高すぎる。そこで半グレやら、反社会勢力と御縁ができる。パーティやら親分の誕生会に呼ばれる。なにがしの芸をやり、お世辞をふりまけば、なにがしのご祝儀がでる。食えない芸人にとってこんなに有難いお客様はいない。
テレビの二列目にすわれるようになるまでは、歯をくいしばっても我慢我慢の日々なのだ。
数年前、反社会勢力のパーティにでてギャラをうけとったというので、大量の芸人が処分された。人気の宮迫博之、ロンブーの田村亮、レーザーラモンHG、ムーディ勝山ら11人が活動停止、当分謹慎処分をうけた。テレビ局は番組挿しかえ、タレント入替でそしらぬ顔である。
情報過剰時代の仇花とかたずければそれまでだが、問題は芸能プロダクションの無責任体制にある。アイドル、芸人、タレントの志願者を煽って養成、訓練、実習の名前で金をとり、仕事もないのに専属契約を結ぶ。5人10人ではない吉本には8000人もいる。
ここから果てしないタレント心得、予備芸人のいばらの道がはじまる。みな暗示にかかったようにいつか栄光の日々が来ると信じて待ち続ける。アタマが良ければ、さっさとあきらめるが、馬鹿は死ななきゃナオラナイ。
闇営業でギャラをもらったお前が悪いと、決めつけるだけでは解決しない問題が横たわっている。
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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