老後2千万円報告が絶妙なタイミングで報告された。
マスコミは一斉にとびつき、安倍年金崩壊隠蔽を暴く、と書き立てている。
景気浮揚策としてなんの代案も持たない立憲民主党を始め、全野党まとまって内閣不信任案を提出、参議院選挙への狼煙とした。一般大衆も、メディアの煽動にのって、いまから2千万円ためろといわれてもとんでもない、安倍の責任だとさわぎだした。
だいたいこの種のレポートは、選挙前に行政から発しられることが多い。行政にとって選挙でえらばれてくる立法議員は常に目の上のたんこぶなのだ。行政官僚はいつも自らを日本国の舵取りをする上級国民だと認識している。それが何処からか湧き出してきた国会議員の風下ではたらくことをプライドが許さない。
それ故前文部事務次官の前川のごとく、いつも「面従腹背」が座右の銘だというとんでもない官僚があらわれてくる。東大法学部を中心にした官僚たちは、つねにときの政治家へひと泡ふかしてやろうと虎視眈々と狙っている、そのもっとも判りやすい年金審議会レポートが、今回の年金2千万円不足レポートだった。
選挙後に発表すればこんな波風は立たなかったはずなのに、わざわざこの時期に発表したのが反政府活動だといわれても致し方ない。
東大出身官僚にとって、安倍成蹊出身内閣は我慢ならない存在なのだ。中軸をなす大蔵財務官僚にとっても、文字も満足によめない学習院出身麻生財務大臣は口にださずとも軽蔑の対象いがいのなにものでもない。
このような私学対官学の地下にかくれた文脈を読み解けば、なんでもかんでも安倍反対のメディアの声も読み解ける。
年金制度発足時には、老人1人を若者6人でささえていたのに、間もなく老人1人を二人の若者で支えなければならない現実をまえに、百年安心年金プランがどこまで生き延びることが可能なのか、官僚も内閣も野党もみなで智慧を絞っていかなければならない時に、官僚の陰謀にのったアンチ・アベの情報にのるほど危険なことはない。国民すべてが頭を冷やして考えなければならない時こそ、今なのだといいたい。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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