「蕎麦やの二階」はなんとも色っぽい空間だった。
裏の土手というのも時代劇には登場するが、そこは舟万頭と呼ばれた娼婦たちの縄張りになっていた。
茶店はオープンだし、近くで密かに逢えるのは、「蕎麦やの二階」と決まっていた。
従って蕎麦やは二階建てときまっていた。下は客席と小上がり、奥の調理場からなり、二階は自分達の居間と、客のための座敷が基本だった。
蕎麦やの二階は大事な客の内密の相談事につかわれ、また町内の若い衆の逢引き部屋にもなった。それ故、蕎麦やの主人、お内儀は訳知りのいい大人でなければならなかったといわれている。
一本のお銚子に、焼き海苔の添えられた蕎麦みそで駆け付け、お銚子の追加には鴨焼きがついて出来上がり、話しがまとまれば、季節の天だねに仕上げの熱燗、せいろを一枚たのんで 娘を先にかえすというのが江戸っ子のデートだったようだ。
蕎麦やの二階に必要な小道具は、二つ折りの小さな屏風と座布団、それに竹のくず箱があれば充分といわれていた。
風呂の帰りに偶然いっしょになった小唄のお師匠さんと「蕎麦やの二階」で情を通じるなどというのもあったといわれる。
蕎麦やは、バーとカフェとレストランとそして奥の間を備えた町の社交場だったともいえよう。
そんな粋な「蕎麦やの二階」はいつの間にか姿をけして、食欲だけのさもしい空間になってしまった。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す