真理ヨシコ・中田喜直をうたう

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 構成演出をやって欲しいと依頼を受けた。
 彼女は60年前のある年、まさしく美少女と見紛う芸大生だった。ソプラノの良く通るすずやかな声の持ち主だった。これから仕事をしていくのに本名ではまずいので、芸名もつけてくれという話になった。以来半世紀の時間がながれ、彼女の舞台を前に初めての対面の時がきた。
 テーマは「水芭蕉の人 中田喜直」、この国のコンサートにまま見られる教養主義的な舞台作りは嫌いなので、どこに表現の力点をおくかについては少しばかり悩んだ。歌い手の個性を殺さず、作曲家の個性も生かす。その上である程度ベクトルの高い舞台をつくらねばならない。
 作曲の仕事をするとき、喜直先生はピアノの前に座り、まずショパンて゛指ならしをしてから仕事にかかっていた、という話を幸子夫人からきいた。ならばこの際、ショパンには申し訳ないが舞台回しをお願いしよう。ショパンなら少しポピュラーに流れるが音楽として不足はないし、ブリッジとして採用するなどこの上なく贅沢でもある。ワルツとエチュードから5曲ほど選び演奏家との折り合いもなんとかついた。
 残りは言葉、歌詩のもんだいだ。旋律に飲み込まれ消えていく言葉のなかで、ばあいによって生き残る歌詞がある。特に今日のキャッチ・コピーのごとくひとり歩きする言葉があったりすると迷惑千万このうえない。右も左もみんな違ってみんな良いというような金子みすず的テクニックにはまるとPTA特選歌コンサートのようになっていちじるしく文学的感興がそがれ、コンサートの質が低下する。
 そこで刺客として朗読ないし台詞を入れることにした。
 鶴岡千代子の「さよならはいわないで」には、寺山修司の「返詩」をぶつけ、壺田花子のあいまいな「ねむの花」には太宰治の恋文ではっきりとした態度を要求した。さとう恭子の「伶人草」にはプレヴェールの花束によってさらに花と人間の立ち位置を明確にしさらに劇的表情の鮮明を計った。
「雪の降る町を」では、内村直也の描いた思い出と哀しみとむなしさにさらに付け加え、中原中也の生い立ちの歌から、一人称の降る雪についてリアルな描写をくわえた。
 トーク・歌唱・朗読と活躍の真理ヨシコさんは大変だったとおもうが、まだまだノリシロを感じたコンサートだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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