「ひとりで死ねばいい」への応論

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「ひとりで死ね」の発言に対して、いろいろな意見が乱れ飛んでいる。
 川崎19人殺傷事件。スクールバスを待っていた小学生19人にたいし、次々と刺身包丁で切りつけた後、自殺した事件。
 続発する類似事件にワイドショウのコメンテイター達があれやこれやと姦しい。
 孤独でだれも相手にしてくれなかったから、その解決手段として殺傷事件をおこした。というのはあまりにも身勝手だ、と反論する被害者擁護の発言。 どうせ死ぬのならひとりで死ねばいい、という自己責任論、いや、こういう犯人にこそ社会はよりそわなければならない、という共同責任論、起こしてしまった時間はとりかえせないのだから、皆で祈りましょう、という宗教論、なんの解決にもならない野次馬会議でメディアはこの事件を商品化している。
 殺傷事件または殺人事件または怪死事件をくまなく取り上げて、ドラマという様式にとじこめて荒稼ぎをしている地上波テレビ局が、もっともらしく今こそ再発防止には何をすべきか、とワイドショーでさらに事件の拡大再生産をしているあたり、笑止千万である。
 科捜研の女から捜査1課長、緊急取調室、相棒とあらゆる犯罪を毎日垂れ流している電波責任にふれることなく、冷静な感情で向き合わなければならない、とはどの面さげていえるのか。全国何万人の引きこもりが、そうした犯罪映像のシャワーを浴びて同調行為に走っている現実に対しての認識ゼロというのが恐ろしい。ミステリーという商売アイテムについて、今こそ立ち止まって考えるべきだ。
 狙われたカリタス学園というのもキーワードと考えられる。
 東京には沢山のミッション・スクールがあるが、川崎ではここだけ。第二次大戦後、お約束のようにカナダから占領地布教のためにやってきた3人のシスターによってつくられた学校だ。ケベック州のカリタス修道女会によって運営され、幼稚園、小学校、中学校、高等學校とあるが、地域の富裕層を対象とした学校であることは間違いない。貧困層には手がとどかず、そんなことからも狙われた対象として納得できる。
 平等、平等とおしえられてきたが、現実社会は平等ではない。格差たらけだ。そこで格差を受け止める胆力、人間力が必要になる。そうしたリアルな社会環境についてフタをしてきた大人に責任はあるし、世界中どこへいっても平等ではないということを、もっとしっかり教育すべきではないだろうか。  


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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