初めてのスリコ

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 不覚にも「スリコ」を知らなかった。
 安売りがテーマでは「100均」止まり。「ドンキホーテ」ができてからは、なんとなく恐ろしく気軽には行けなかった。話題になって1年位たった頃、銀座の果てにあるドンキにいった。わすれてしまったが銀座で個展をした折に、何かが足りず8丁目のさきのドンキに行けばありますよ、と若いものに焚き付けられていった。
 目的のものはあったのだが店全体の色彩感やら、ディスプレイのいかがわしさにはついていけなかった。なんとなく置かれている商品がすべてイカガワシクみえてしまった。
 「いまはスリコよ、3COINS」 といわれても何を言われているか良くわからなかった。
 説明をうけ、なるほど100円玉を三つというところが泣かせる。庶民が衝動買いをするギリギリのラインが300円とは考えたものだ。1000円ではユニクロになってしまう。500円なら昼食代だ。そこで300円が登場する。
 キャッチには「あなたの”ちょっと幸せ”をお手伝いする雑貨店」とある。追討ちをかけるように「ワクワク・ドキドキがたくさん詰まったHappy Store」角を曲がると「何度でも行きたくなる! いつ行っても発見がある!」ここまで煽られたら行かねばなるまい。
 店内にはキッチン・グッズ、バス・アイテム、インテリア小物、靴下、アクセサリーまでいろいろとある。人気商品のベストはランドリー用ネット、コスメ・ケアキッド、温野菜メーカー、首掛けスマホ・ホルダー等々、言われてみればなるほどと言った暮らしのベンリ雑貨類である。
 親会社がファッション衣料専門メーカーだったので、季節の商品をさけ、流行商品をさけて品揃えしたので成功したのだろう。
 300円の衝動買いが、300円のシアワセを創り出して、庶民の暮らしを豊かにしてくれている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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