「油断をすると、すぐに騙されます」
「スーパーがないので、もっぱら生協の配達です」
「近所のお出掛けでもお化粧は欠かせません」
銀座煉瓦通りに住む、「ポツンと一軒家」の寺尾和子さんの発言である。
銀座煉瓦街は明治5年の銀座大火のあとに作られた防火商店街だった。
のちの関東大震災と東京大空襲でいまではその痕跡さえみあたらないが、それでも銀座で見かける「煉瓦通り」や「ガス灯通り」の看板はなぜか嬉しい。
関東大震災で焼かれ、東京大空襲の焼夷弾をうけ全焼したにもかかわらず、いまだに看板を守っている、その根性こそが江戸っ子なのだ。まわりがほとんどビルにかわり、木造2階建てのポツンと一軒家・昭和の民家になっても寺尾さんのこの町への愛情はきえない。
当時の煉瓦通りには、豆腐や、靴や、肉や、観物やなど個人商店が並び、ご近所同志でおかずのとどけものをするような情緒ある町でした。
床屋さんにいけば、誰かに会える。喫茶店にいけばいつもの仲間がたむろしている。が、床屋さんは理髪店になり、バーバーになり、サロンになっていまは無い。喫茶店もいつかカフェになり、おしゃれになったが、いまは無い。
人と人が自然にあえる場が全部消えてしまいました。
玄関の鍵など掛けたことはありません。不用心だから鍵をかけなさい、とはだれもいわなかった。出掛けて帰ってくると、玄関にはなにかしら届け物がおかれていました。なかには、三軒向こうのお嬢ちゃんのお祝いの御赤飯などあり、あわててお祝いのお返しを三越さんまで買いに走ったこともありました。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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