地に堕ちた東大王

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 ここにデータがある。
昭和の首相31人の学歴…東大13人、陸軍5人、海軍4人、早大2人、京大2人、一橋1人、慶応1人、明治1人、高中2人
平成の首相16人の学歴…早大5人、慶応2人、神戸1人、上智1人、成城1人、成蹊1人、学習院1人、東工大1人、東大工学部1人、
 かって官僚、政治家の登竜門といわれた東大法学部は地に落ちた権威になってしまった。平成の30年間にひとりの総理大臣すら送り出すことができなかった。
 大正昭和の時代には、東大法学部から官僚になることが出世の王道であり、国家の仕事をする自覚と技術を学ぶ最高学府だった。
 いま東大出身の官僚群は、国家への忠誠という最大のテーマを失い、各省庁の既得権益を守るだけの小役人になってしまった。その典型的な例が、新宿のセクシーキャバクラに通い、臆面もなく「面従腹背」がわが人生の座右の銘と言い放った元文部科学事務次官の前川喜平だ。
 政界や言論界ことさら地方政界などでは、官僚出身と称する人材はおおいが、課長もやっていない、官僚見習い程度の人間がほとんど、とくにテレビにでている官僚出身のタレントには多い。雅子皇后が実際に2,3年外務省にいただけの見習い同然にもかかわらず、外務省出身エリートというマスコミ報道のそれと同じことが世の中に横行している。
 そうした歪んだ東大観に毒された番組が「クイズ東大王」である。東大という既存価値におんぶした企画なのか、それとも現実の東大を揶揄した番組なのかよくわからない。が、次々に新人東大生が登場してくるあたり、メディアに対するリテラシーが全くない質の悪い東大生が増えたということだろう。
 かっての東大生には芸能番組など出られるかといったプライドと気概があったが、いまでは喜び勇んでテレビ局にやってくる三流学生ばかりになってしまった。
 国家という国民にとっての最大のよりどころに、最高の頭脳をもって奉仕し、壮大な世界観をもって混乱に対峙していける最高レベルの人材を育成する学校こそ東京大学だった筈だが、現状はテレビのクイズ王に矮小化された悲しいキャンパスになってしまった。
 日本人にとってなによりの不幸は「東大王」の今なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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