令和のバカ騒ぎ

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「令和」の馬鹿さわぎがようやく落ち着きを取り戻しつつある。
 テレビでは横並びで平成の30年はよかったよかったの大合唱。平成時代のスター選びなどは最悪だった。野球選手や芸能人が一斉に登場し芸能スキャンダルが時代を造ったかの如き有様、時代をリードした政治や経済はおいてけぼり、戦争はなかつた、なかっただけで結論づけている。
 世界的な宗教戦争も、北朝鮮の核開発も、中国による領土野心も見過ごされてお目出度い。
 令和のハンコを押したカステラは嬉しい。善光寺の御朱印には令和の二文字が入っている。
 郵便局では令和元年の消印を押してくれる。アウトレッドでは令和の大セール、役場には令和記念の大懸垂幕、町長は令和の記念植樹に忙しい。駅にはG20の告知電飾、うわっつらのお祭りは多いに盛り上がってかんじんの何かがぬけている。
 新聞も令和天皇夫妻と長野県特集、山に登ったとかスキーをしたとかの写真でうめつくされている。こうした時に突然登場するご学友とかお友達も面白い。いちように褒めたおす、笑顔がいつもより輝いていたとか、暖かくいつも国民を思いやって素晴らしいとか、現実を忘れて褒めたおすのは日本人の特質なのかもしれない。
 もう15年の長いあいだ療養中で、未だに体調に波がある、日本一の医者がついていても、東大病院の最高権威の医者がついていても、15年完治しない不思議な病の異常事態には誰もふれない。そんなに長いあいだ治らない病気って地球上にあるのかとは、誰も疑問をもたない。
 それとも美智子さまから継承したティアラをかぶったら、完治するとでも思っているのだろうか。
 渋谷のハチ公前に大鯰を集め、ほんとうに南海トラフ大地震は起きるか、起きないかと、尋ねたほうが、切実なお祭りになる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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