2019年4月30日平成最後の日

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 平成の終りにあたって、自分なりの平成を総括してみる。
テレビでは平成に戦争が無かったことが素晴らしいといっているが、果たしてそうだろうか。
❶IT情報化時代になり、大量のゲーマーが発生し、数字こそ総てのデータ人間だらけになった。経済はもとより政治まで数字で語り、すべて統計で語られるようになった。
❷災害の日常化で、地震の発生、台風、豪雨、水害、津波、はては原発災害、生活圏の異常高温からくる自然破壊など、想像を超える環境の激変にみまわれた。
❸健全な左翼勢力の没落。自民を中心にした保守に対して、左翼はただの運動体となり、政策提案能力を失った。アンチ・アベと憲法改正反対だけをお題目にしている。
❹朝日新聞、毎日新聞など有力紙の偏向報道により、新聞が信用を失い読者が離れた。慰安婦問題、いわゆる徴用工問題などメディアの反日姿勢に国民は呆れた。
❺文化の幼児化現象。縫いぐるみ、ユルキャラが日本全土を覆い、はては映画までアニメの全盛期を迎えた。犬、猫のペット・ブームもこの延長線上にある。
❻野球、サッカー、バスケット、フィギア・スケート、卓球、テニス、市民マラソンまでスポーツ万能、脳みそ置いてけぼりの肉体競争のみになった。
❼文学が衰弱し、本屋は倒産寸前、テレビでは殺人ミステリーのみで、かっての文芸作品はすがたを消し、活字離れがあたりまえになった。
❽食欲の正当化により、グルメだのミシェランだのと、食べたい欲求が大手をふって歩いている。さらに食べたものを他人に誇示するさもしさを恥じない。
❾スマホの普及により、自己申告と承認願望が異常に拡散、「いいね」の数に安堵する阿呆人間が増殖し続けている。こどもはユーチューバーを目指す。
 ざっと考えてもこの程度の項目は上がるが、これでも平成という時代は素晴らしかったと云えるだろうか。
 令和の時代に期待できるものはなんだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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