上級国民に思うこと

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 「上級国民」という言葉がネット上に登場したと思ったら、あっという間にメディアを席巻した。
 交通事故を起こした老人がたまたま、元官僚の上級職だったことから、死亡事故を起こしておきながら何故逮捕されないという、大合唱から発生した用語である。
上級国民というからには、当然「下級国民」も「中級国民」も存在するという認識にたっているのだろう。
 戦後の自由平等教育のおかげで、大方の日本人は人類皆平等・人類皆自由が世界の常識と信じてきた。が世界はみな平等かと問われれば「否」と答えざるをえない。
 第二次世界大戦勃発の原因についてすら、白人達の有色人種への弾圧にほかならなかったと、考える歴史学者が多い。日本へは徹底的な禁油政策であと半年もたてば石油はなくなり、日本はエネルギーの枯渇により瓦解するところまで追い込まれ、やむ負えず南進政策を取らざるを得なかった、というのが真実だった。
 白人による黒人支配はすでに完成していたが、有色人種のうち日本にだけまだ白人の支配力が浸透していなかった。それ故、エネルギーの禁油により日本を滅亡に追い込もうとしたのが、第二次世界大戦の原因であった。
 結果多くのアジアの有色人種国家は、日本の敗北と引き換えに独立を勝ちとった。旧植民地の宗主国にとって日本は憎むべき存在なのだ。
 皇太子をはじめ皇族方が必ず留学されるイギリスは、階級制度の徹底した国である。上級国民と下級国民の扱いには厳重なルールがあり、下級国民はどこまでいっても下級でいきなければならない。男女の格差も激しく、食後の男子の葉巻の時間には女子の同席は許されない。
 日本人が自由平等の国と憧れるアメリカですら、東部にいけばホワイトとプア・ホワイトとカラードとブラックの差別は厳然と生きている。それぞれの階級を意識しなければ、パーティなどへの出席はできない。
 インドのカースト制度のごとく、世界にはまだまだ上級国民と下級国民の差別があることをきちんと教育することも大事なことだ。都合の悪いことにフタをして耳障りのいいことだけを取り上げる、何処かの国の野党の如き教育は、健全な世界市民を育てることにならない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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