美味い食パンを探せ

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 近頃「美味い食パン」が世間を賑わしている。食パンひとつ何のことやらと思われる向きもあるが、若い女性たちにとっては、重大情報なのだろう。
 原因は先の大戦に負けたことだといってもピンとこない人が多いかもしれない。が真実は、敗戦国の日本人にアメリカ農産物の余剰品を処理してもらう目的があった。第二次世界大戦に負けた日本には、ちゃんとした米のとれる田圃は少ししかのこっていなかった。日本政府はマッカーサーにたいして、食料の緊急援助を要請した。アメリカはしめたとばかり大量の余剰品をかかえている小麦粉の緊急援助にふみきり、飢えた日本人にパンを食べさせようとたくらんだ。
 第一弾はコッペパンになった。子供たちはコッペパンによって飢えをしのいだ。やがて食パンになる。いずれも水分の多い小麦粉本来の味よりも、とりあえずパンだよ、という作りだった。素人作りの電気パン焼き機がどこの家庭にもあって、アメリカの小麦粉に感謝しつつ食パンまがいのものを食べていた。
 あの時の将来を見据えたマッカーサー司令部の思惑がみごとに実を結んで、2019年のいま、女性たちが食パンの美味いパン屋に行列をつくっているのだ。
 ヨーロッパの人達は水気の少ないハード系のパンをたべる。水気が多いと小麦の味が判らないという。バケット好きのパリジャン・パリジェンヌも同じで、毎日エリゼー宮に届けられるパンも固いバケットである。
 日本の最近のブームは、少しデェニッシュに偏った食パンだ。食パンのデリケートな味よりもはっきりと違いがわかるデェニッシュが喜ばれる。
 大阪の春夏秋冬、神戸の小麦庵、京都のグランマーブル、など行列の途絶える時はない。祇園にあるグランマーブルは、外からはお茶屋のまんま、よもやここがパン屋とはわからない。すこし秘密めいた祇園ならではのパン屋というところが、お上りさんによろこばれる。東京では、六本木のグランド・ハイヤット東京のデニッシュが意外といける。
 それにしても紀伊国屋のイギリス・パンを超えるヤマが出てこないのが残念である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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