ブレイク・ダンスに負けた野球と空手

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 2024パリオリンピックから野球と空手がなくなった。
 代わりに登場したのが、ブレイク・ダンスというのだからビックリである。ブレイクダンスはスポーツだと言われれば、いささか憮然たる思いもある。貧しい黒人たちの路上の踊りが進化したものだが、ショウ的な見せる要素のほうが多いような気もする。ブレイクダンスが入るのなら、ベリーダンスもありだし、フレンチカンカンもありだ。日本ではさしずめ阿波をどりもありだ。
 ロビー活動をさぼっていたので、野球も空手もなくなり、ベリーダンスにもっていかれたのさ、と語る向きもあるが、オリンピックにまつわる金銭スキャンダルの多さに、フランスの検察が摘発に乗り出し、2020の東京オリンピックから問題視したということも見逃せない。
 贈賄の疑いで日本オリンピックの竹田恒和会長が取り調べを受け、まわりの実行犯は知らぬ半兵衛を決め込んだ。旧皇族の竹田会長はただの飾り物で、実行犯はその下にいるというのは、衆知のことだが、誰もなにも言わないで、会長だけが取り調べに応じたという如何にも日本の官僚体質が滲み出た対応だった。
 悪いのはオリンピック・ビジネスの成否を握っている専任代理店「電通」にきまってる。
 ヨーロッパのスポーツ貴族の裏を調べ上げ、どこにどれだけ裏金を流せば票取り合戦に勝てるかという戦略をたてているのは電通のスポーツ戦略本部なのだ。旧皇族の竹田会長には、いちいち指示するだけの情報もなければ、材料もない。それでも会長を辞職に追い込んで黙っている組織委員の腹黒さは凄い。
 現実オリンピックは金がかかり過ぎというので、やりたいという都市がなくなって、どこの国も立候補しなくなってきている。なんとかして立候補をうながそうと国際オリンピック委員会は必至なのだが、現在の運営方針では無理だろう。よりコンパクトにし、設備投資を強要する体質をあらためないかぎり、今後立候補する都市はへりつづけるにちがいない。
 第一回オリンピックの精神に立ち返り、肉体のカタルシスにテーマをさだめて、スポーツを振興することに徹するべきと考える。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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