テレコマ屋のハズキルーペ

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テレコマ屋のハズキルーペ 
 夜の銀座が朝から臆面もなくテレビに登場する。
 武井咲なる二流女優がニッコリと客を迎えると、通いなれた風情の小泉孝太郎のご来店である。まわりのヘルプがおおむねオスカーの大部屋女優たち、いまだ喰えない大部屋女優のバイトの真実と重なって、なかなかの風景である。一杯飲むのに拡大鏡ルーペをかけて飲む客はいない筈だが、ママ新色などと声かけして愛想をふりまく孝太郎…。字が細かくて読めない、と渡辺謙の真似をして紙をばら撒いたあと、これは先輩とワザトラシク気がつくと、いよいよオミズのお尻の登場である。この店は銀座では三流の店らしく、オミズ達はショートパンツがやたら多い。 ハズキルーペのうえに次々とお尻がのって100キロまでは壊れないと強調する。実際にハズキルーペを購入して、トリセツをみると60キロまでと書いてある。テレビだけが100キロ荷重にたえるという不思議さ。
 週刊誌にはハズキルーペの製作原価は600円以下とかかれていたが、実際ハズキルーペは拡大鏡なので、いままでのルーペの値段から考えても1000円以下であることはたしかだ。その拡大鏡に一万円以上の値段をつけて売っているのだから、値段の中味はあらかた宣伝費と考えられる。
 宝田明に始まり、石坂浩二、館ひろし、渡辺謙、菊川怜、武井咲、小泉孝太郎、ときて、最新版では松岡修造にいたった。テレビ・コマーシャルの露出量の多さからかんがえても、この眼鏡屋さんは九州名菓ひよこを、東京名菓にした前例のごとく、拡大鏡を老眼鏡にカン違いさせて売りまくろうという魂胆かもしれない。いまやハズキルーペは、眼鏡屋、文具屋、スーパー、コンビニ、デパート、スーパー銭湯、ホームセンター とあらゆる処に置かれている。
 渡辺謙、小泉孝太郎辺りまではよかったが、松岡修造にいたっては墓穴を掘った感じだ。
 松岡修造はタレントではなく、テレコマ屋だからだ。差別化をはかったつもりが、そこいら中、つまり富山の貼り薬からミルクココア、カップ麺、なりきり税理士、CCレモン、ファブリーズ、歯ブラシ、会計ソフトとなんでもやのイメージの強いテレビ・コマーシャル屋が表にでてきた。修造が出ることによってハズキルーペはつまらない商品になった。  商品の差別化ができなくなり、嘘だらけの請負テレコマ屋のものになったからだ。
 タレントの選択は代理店の使い勝手ではなく、あくまでそのタレントの仕事への姿勢によって、商品へのロイヤルティーがきまってくる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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