いま新聞業界では「望月衣塑子(モチズキイソコ)44歳」の取り扱いに当惑している。
慶応法学部を卒業し、中日記者から東京新聞に移り、首相官邸の取材を担当しているのだが、社会での常識規範をまったく持ち合わせず、取材陣全体のルールを無視し一人で40分の時間を独占し、23回の質問を繰り返した過去がある。通常の官房長官記者会見では記者の質問は2乃至3程度で数分だが、彼女は多くの記者の迷惑など全く考えず、わがまま放題なのだ。
「面従腹背が私の主義」といって憚らない腐れ切った官僚、前川喜平文部省前事務次官にまるめ込まれ、「官房長官は何故出会い系バーにいって女の子の実態を調査しないのか」など、常識では考えられない稚拙な質問をくりかえした。さらに森友・加計問題ではありもしない事実をでっちあげ、政府を質問攻撃、極めつけは「米韓に北朝鮮金正恩委員長の要求に答えるよう冷静に対応するよう政府は働きかけているか」こんな質問を記者会見でするようでは、新聞記者ではなく北朝鮮工作員そのものではないかとさえ思われる。
望月衣塑子は新聞記者の本分をしらない。権力を監視するジャーナリズムの本分について勘違いしている。「権力の監視」について判っていない人間はテレビ業界にも沢山いるが、リベラル系新聞業界はとくに多い。
共産中国に絶望して日本に帰化した評論家の石平さんは、「彼女のやっていることは、何のリスクもない民主国家で意地悪質問を重ね、政府の記者会見を妨害しているだけ、それを「権力と戦う」とは、吐き気を催すほどの自惚れだ」と断罪している。
政治は最高の道徳であり、つねに国民に寄り添わねばならない という政治学の第一歩から学び直してほしい。ジャーナリズムと運動家とは基本が異なる。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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