国民を人々に書き換えた新聞

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 平成31年2月23日土曜日、朝刊を開いた。
 いやまだ開いていない。正しくは朝刊を手にした。見出しの大文字が眼にとびこんできた。
 皇太子さま「人々と共に」59歳に 新天皇即位へ決意 とあり、皇太子バストサイズの顔写真が添えられている。 近頃は天皇にかかわる記事も二面やら三面に追いやられ、時に社会面の隅にのっていることもあり、ああ随分世の中は変わったなあと思うこともある。
 が今朝の新聞は何かおかしい。著しく違和感を感じた。
 皇太子さま「人々と共に」という大見出しに違和感を感じたのだ。人々と共には間違ってはいないのだが、なにかが変だ。
 国家国民を象徴する立場の人の言葉としては当然「国民と共に」というべきだろう。人々と共にというのは、左翼系のひとたちが好んで使う用語でもある。
 皇太子にこんなに国民や国家へのこだわりが無いのでは、どこかの大臣ではないがガッカリである。天皇という象徴たる地位につかれるのだから常に国民と共にあってくれなければ困る。人々と共にでは、金子みすずの詩程度で天皇即位への決意には遠い。
 合点がいかないので皇太子会見全文4面をよんでみた。 なんと会見全文にはとんでもなく国民が多い。
 国民の幸せを願い…国民と共にありたい…国民の中に…国民にすこしでも寄り添い…国民と接する…国民を思い…国民のために祈り…国民につねに寄り添い…国民と心を共にし…国民と苦楽を…以下国民が20か所近くでてくる。
 人々を探してみると、わずか三か所しかない。
 新聞社の体質というのはこうした処に出てくるのだと、納得した。20か所の国民を無視し、わずか3か所の人々を大見出しにする。この新聞社は多分天皇制廃止論にたっているのだろうと推察した。メディアリテラシーの良き見本であった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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