王様の夢がチョコレートに

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 2月14日が近ずくと、いたわりのメッセージが届く。
 「いつまでも元気でいてください。」「健康に気をつけていいお仕事をしてください。」老人にたいするいたわりの心情が届く。とても有り難いが、同時に情けなくもある。日没が近づいていることがわかる。
 「スキ!」「つくったよ!たべてね!」 そんな元気なメッセージは、遠くへいってしまった。
バレンタインデーは人生の前半にはとても良く効くが、後半には毒なのだ。
 去年、友人の新居を祝ってベルギーのブリュッセルを訪れた。
 グランプラスの辺り、ギャルリー・サンチュベールからエチューブ通り、グランサブロンの辺りはチョコレート・ショップが溢れていた。ご存知ゴディバ、王室御用のガレー、ノイハウス、ダルシー、コルネ、レオニダス、マリー、ヴィタメール、ピエール・マルコリーニ、ラ・ペルジクグルマンド、パッションショコラとそれぞれに工夫をこらし、あるいは渋く、あるいは華やかにショコラの香りが通りに溢れていた。
 「はじから食べてみる?世界中のチョコのレベルが判るよ」「糖尿病で殺す気か」と笑ったが、何故ベルギーがチョコレートの覇権を握ったのか不思議だった。
 17世紀の中頃には修道院の薬剤師が、薬としてチョコレートを売っていたという銅版画が残っている。
 それをベルギーの産業に育てたのは、ベルギーの王様レオポルト二世だそうだ。19世紀、ヨーロッパの王族たちはみな植民地の経営に乗り出していた。レオポルト二世もあちこちと植民地を探し、コンゴに眼をつけた。1884年にはコンゴをベルギーの植民地と認めさせ、以来カカオの木のプランテーションが一気に進められ、今日のカカオ流通の道が開けた。コンゴでは良質なカカオがつくられ、ベルギーがチョコレートの王国になったという次第だ。
 日本ではインスタ映えするチョコに人気が集まっているが、私的にはガレーのミニバー12gのいろいろとか、帝国ホテルのチョコレート・プレートのようなケレンのないチョコが美味しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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