花見小路はこの夜、外国の観光客とカメラおじさん、何事が起きるのかと興味深々のお上りさんで込み合っている。
お茶屋の座敷に上がって楽しめばいいのだが、そのあたりの遊び方をしらないのと、懐ぐあいが間々ならずだが、それでも祇園まちの習俗には興味のある人々が露地のあちこちに屯して都の底冷えの寒さに耐えている。
すっかり夜のとばりが降りた頃、それぞれの館から出陣する芸妓衆と舞妓たち、節分のお化けに扮してのお座敷巡りだ。
ご贔屓の待つお座敷に乱入し、魔除けの珍芸を披露して鬼を追い出す。客もともにやんやと囃し、杯をともにし、ご祝儀をいただく。節分の夜はお呼びのかからない座敷にも勝手におしかけ、ふるまい芸をしてお酒とご祝儀をせしめて廻る。客も覚悟して沢山の祝儀をふところに用意しておかねばならない。無粋な客のためには、お茶屋の女将がそっと用意しておいて、客の名前で祝儀を渡す。
女将商売もけっして楽ではない、気働きが十二分にできなければ務まらない。
一軒のお茶屋が終わって次のお茶屋に移るとき、お化けたちは一斉にカメラ攻撃をうける。玄関を出た途端にスマホやら一眼レフが押寄せる。
移動中をスナップする位ならまだしも、近頃のカメラは図々しく、一緒に写真をとってくれとか、ポーズを要求するとんでもない奴もいる。
時間で働いている花街のシステムをまったく無視するのだ。
ことしのお化けは、佳っ菊、市有里のお軽勘平、小喜美さんの引き抜き三変化、眞生さんの御方さま、まめ弥、福葉、美佳子のM1コント、槇子、有佳子の相対舞に、金棒引など芸妓衆の工夫もいろいろに祇園町の節分を彩った。
この夜ばかりはいつもの井上流を忘れて、ご勝手流に客共々鬼と遊ぶ。
六道の辻にはおかめの鬼がでて退治される。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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