マスクとマスカレード

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 猛烈な勢いでインフルエンザが流行っている。
 街にでるとマスク人間だらけで、ここは病院かといいたくなる。日本人のマスク好きは世界的に有名で、ヨーロッパの人が羽田に降り立って始めの驚きは、異常に多いマスク人間だといわれる。マスクも近頃では、予防にならないとか、役立たずという研究も進んで、日本人のマスク好きもすこしは沈静化するかもしれない。
 銀座、原宿などで異様にみえるのは、黒マスクの集団だ。マスクは白いものと永年すりこまれてきたので、黒いマスクをみるとドキッとする。聞けば韓国K POPの影響とか。オールド世代の黒マスクは怪人20面相だから、どことなく犯罪の予感がする。
 台湾マスクと呼ばれるマスクも、白、黒、ピンク、黄色とカラフルでなかにはマスク前面にキャラクターの描かれたものもある。
 マスクのそもそもは、大正時代の工場の粉塵除けに使われたものとあるが、インフルエンザの流行るたびごとに勢力を伸ばし、今日のマスク天国を創り出した。
 立体マスク、超立体マスク、快適マスク、超快適マスク、安全マスク、超安全マスク、近頃では小顔マスクなるよこしまなマスクまであって、数多くの種類のマスクが素人を混乱させる。
 どうせ顔隠しのような大きなマスクを着けるのなら、いっそヴェネチィアのマスクのように、謎を秘めたアバンチュールのマスクなら思わぬシアワセに遭遇する。 身分、氏、素性をかくして貴族たちが美しい庶民の娘たちと交歓するためにマスケラをつけて街に繰り出す。娘たちも予め判っていて誘いに乗ったふりをして悦楽のひとときを過ごす。
 ヴェネチィアにはいまでもこのマスケラの祭りはあって、春の夜のシアワセになっている。マスカレードと呼ばれる仮面舞踏会は、皆で楽しむ人生の仇花なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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