メガトレンド・居酒屋のいま

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 フレンチから居酒屋へ! いまどきの女子大生は居酒屋が大好きだ。
 中途半端なファミレスより、簡単明快にしてコスパに優れた居酒屋に集まる。ひところサラリーマンのうさの捨て所だった居酒屋のイメージは全く無い。
 「串カツ田中」は三軒茶屋に一号店を出して以来、破竹の勢いで成長し全国210店舗にまで拡大、東証マザースに上場するまでになった。串カツは40種類ほどもあるが、どれも100円から200円止まり、ハイボールに串カツ三本で1000円以下ですむ。サラリーマンにとっても学生にとっても働くキャリア女性にとってもこんなに有難い価格設定はない。経営方針は客単価を上げるのではなく客数と回転率を上げることに集中している。
 この「串カツ田中」の成功は、居酒屋業界の常識を根本からくつがえした。
 いままでの和民、白木屋、養老の滝、など総合居酒屋チェーンの客単価3000円の壁をあっさりと破った。先頭にたったのが全品280円均一の「鳥貴族」、さらに和民の生ビール190円と若どりのモモ一本焼きをウリにした「三代目鶏メロ」、同じ若どりのグローブ唐揚げを看板にした「ミライザカ」、和民の看板を次々に降ろして衣替えをしている。「磯丸水産」も「鳥良商店」に衣替えしコストダウンに本腰をいれている。メニューを絞ることで仕入れコストをさげ、味の専門的向上をはかって評判をあげる。業界では一品突破がスローガンとなり、ふたたび活性化の時代に入ったと謳歌している。
 京の着倒れ、大坂の食い倒れ、江戸の飲み倒れ と言われたが、東京には徳川さまのころから居酒屋文化があった。
 文化八年1811年の江戸町方調べでは、100万都市の江戸に1808件の居酒屋があった。単純に割れば553人に一軒の飲み屋。平成18年の調査では東京に23.206軒の酒場、ビアホール、焼鳥や、おでん屋などがある。1266万人口で割れば、546人に一軒の割合で飲み屋がある。江戸と平成の今、まったく同じ比率で営業する飲み屋、居酒屋の存在に驚く。
 はじめ酒屋の立ち飲みにはじまった居酒屋が、酒の肴への要求から煮売酒屋になり、煮売居酒屋にかわって発展をとげた江戸の居酒屋に想いは飛ぶ。
 ……居酒屋は立って居るのが馳走なり… 江戸の川柳に平成の「俺の居酒や」が重なる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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