日本人に鯨を喰わせるな

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日本人に鯨を喰わせるな
 IWC(国際捕鯨委員会)から日本は脱退することになった。
 この決定に対し、地上波のニュースではほとんどが脱退するのは行き過ぎだとか、脱退反対とか、反捕鯨国のようなことを言っている。国際とか国連とか名の付く組織にはとにかく入っていることがいい、それで世界に貢献している、錯覚と無知文盲この上ない発言だ。
 日本人と鯨の結びつきは長い。古事記には鯨肉を神武天皇に献上したという記述があるし、信長が禁裏に鯨肉を献上したという記録も残っている。室町後期の九条流包丁書には、最高位の食材は鯨、第二位は鯉とかかれている。
 歳時記のうえでも12月13日のすす払いのあとには「鯨汁」、暑気払いには鯨貝焼き、すなはち鯨のしょっつるをいただき、ハレの日の料理は鯨ときまっていた。
 第二次世界大戦に敗北し、食糧難に陥った子供たちを救ったのは、鯨の竜田揚げ、鯨カツ、鯨カレー、鯨味噌カツバーガー等の鯨食文化だった。
 和歌山の太地、宮城の女川なと゜では、時折浅瀬や岩場に座礁する鯨を「寄り鯨」と呼び、海神さまからの贈り物として珍重した。漂着神として信仰している恵比寿様こそ鯨そのものと考えて信仰している地方もある。鯨漁業を中心とする港のそばの寺には必ずといっていいほど鯨墓があり、鯨に戒名までつけて供養している、それが日本人の鯨なのだ。
 戦後できたIWCも当初は鯨資源の保護と持続性を論じる場として出発した。
 ところが、日本人に鯨を食べさせたくないいくつかの国の陰謀により、IWCはどんどん変質していった。海をもたない内陸国家がふえ、内実は畜産輸出国のロビー化してしまっているのだ。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと日本に牛肉を喰わせたい国が鯨と関係ない内陸国をひきいれ、巧みに世論形成を計って、鯨食の日本を追い詰めた。おおげさにいえば魚食国家と獣食国家のせめぎ合いの場とかしている。 数におとる水産国家は次々と押しやられ、海のもの捕獲禁止の世論に誘導されている。人口の少ないノールウェイやアイスランドは見逃し、獣食マーケットとして人口の多い日本は絶対にみとめないという政治経済の思惑が支配するIWCなのだ。
 反対することで、何処からか資金をえているシーシェファードなどの動きをみているとよく判る。牛肉輸出国のいいようにさせないという、断固たる姿勢をみせることは必要最低限の発言なのだ。さあいよいよ次はマグロの捕獲禁止が攻めてくる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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