12月12日は「泥棒の日」である。
ハローウィンとか、クリスマスとか西洋渡りの不思議な祝日ではなく、れっきとした歴史的記念日である。この日京都鴨川三条河原のあたりは、異常に盛り上がり町衆が袖すり合ってむらがっていた。河原に用意された大きな釜には、石川五右衛門とその子供がいれられ、刑場役人によって次々と薪が投じられていた。
釜にたぎったのは熱湯であったという説と、いや油で揚げられたというふたつの説がある。子供は最後まで頭のうえにかかげたというのと、いや不憫なので先に釜のなかに投じたというこれまた二説ある。いずれにしても天下に名高い大盗賊石川五右衛門とその一族20人は、12月12日に三条河原で釜茹での刑にあった。
歴史上最大の泥棒最後の日を事日として信仰しているのが「泥棒の日」信仰である。
京都、奈良、大坂、和歌山辺りの旧家や花街にこの信仰はのこっている。この日、白い和紙に「十二月十二日」と書き逆さにして、玄関や勝手口に貼る。さすれば泥棒ははっと気ずいて引き返すというなんとも素朴な民間信仰なのだ。泥棒にもご先祖様の大泥棒にたいする敬愛心が存在するというユニークな「泥棒の日」である。
祇園の旧家では、この日訪れた職方さんにゆで小豆をふるまい、泥棒さんでなかったことを祝福する。
史実のなかの五右衛門は盗賊、追剥、悪逆非道の大泥棒とされているが、庶民伝承では義賊であったり、栄華をきわめた豊臣秀吉の暗殺を企てた泥棒として隠れた人気者という側面もあり、12月12日の「泥棒の日」はそれなりに納得できる。
「十二月十二日」とみずからの手で私家版のお札を書く、なんと楽しい習俗ではなかろうか。我が家の書道甲子園、年に一度のお札書きで、すこしは書道の腕が上がるかもしれない。
石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗っ人の種は尽くまじ…
「泥棒の日」を祝う
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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