「次の質問どうぞ」

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 「次の質問どうぞ」…「次の質問どうぞ」…「次の質問どうぞ」…「次の質問どうぞ」
 河野外相は去る11日の外務省記者会見で、記者たちの質問を無視し「次の質問どうぞ」を4度繰り返した。記者たちの質問はいずれもロシアとの北方領土交渉にかかわることで、日本としての領土返還への目標をただしたものだった。
 河野外務大臣はかねがね外務省記者クラブ(霞クラブ)に所属する記者たちに不満をいだいていた。
 記者たちのほとんどが本社に帰れば政治部所属のため、その時々の世俗な話題にばかりに関心をもつ。ときに北朝鮮が話題になれば、質問は北朝鮮ばかり。総裁選が近ずけば立候補するのか、しないのか、そんな質問ばかりで外交に関する質問が常識以下だと嘆いていた。
 外交交渉はほとんどが英語である。それ故記者会見の冒頭はいつも英語で始まる。彼は英語もわからないで外務省担当とはよくいえたものだという思いがある。英語の判らない奴はただちにここから出て行って欲しい、という意思表明にほかならない。ほかの省庁なら日本語が正しいのだが、外務省は英語でなければならないという確信犯が河野外相なのだ。
 プーチンという世界でも名うての曲者を相手にしての外交交渉であれば、こちらの手の内は見せられない。手の内を見せたら、即座に駆け引きの敗者になる。そのくらいの事は、外交担当の皆さんなら常識でしょう。そこを踏まえて質問して下さい、というのが河野外務大臣のいいたいことなのだ。
 この事件に対し、野党は国民無視だと怒っていたが、これでは外交ができなくて当たり前。立憲民主の辻元某は、相も変わらず「国民への情報公開ができていない」とわめいていたが、なんでもかんでも情報公開すればいいというものではない。秘密にすることこそが、交渉事の第一で、手の内をみせずに国家国民に利するよう話をまとめなければ、政治ではない。
 報道ステーションの後藤謙次も、ニュース23の星浩も、同じように情報公開、秘密主義とわめいていたが、ああこの人たちはみな外交音痴のダメ解説者なのだと納得した。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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