SKD最後のスター・春日宏美

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SKD最後のスター・春日宏美
 かって浅草には東洋一の国際劇場があった。
 その国際劇場を本拠地として活動していたのが、松竹少女歌劇団(通称SKD)だった。SKDは松竹音楽舞踊学校の卒業生を軸として編成され、水の江瀧子を始め草笛光子、倍賞千恵子、榊ひろみ等次々とスターを輩出した。そして最後のスターが、男役春日宏美と娘役久美晶子だった。
 SKDは3600人収容という巨大な劇場にふりまわされ、グランド・レビューという様式にいかざるをえずスペクタクルのなかに踊り手は埋没していった。それに女性だけの歌劇団という特殊性も時代の波にのまれていったが、1996年の歌劇団解散以後も舞台を愛した生徒と、ファンの人達の交流からいくつかのグループが、松竹の灯を消したくないと活動をつづけている。STASもその一つだが、春日宏美もまた朗読やら唄、踊りと活動している。
 日曜日に浅草の大黒屋倶楽部で、「語り・ソング&ダンス春日宏美」の会があった。語りも唄もダンスにも、美味い下手の水平線を超えたスターの光芒があった。輝ける国際の舞台からしか生み出すことのできなかったスターのDNAを見た。70才を超えてスリムな体系を維持し、キモノスガタも、イブニングも、メンズ・スーツも着こなして凛と演じる姿に感心した。男役という世俗的には歪んだ個性に恥じることなく悪びれずにどうどうと演じている彼女を眼のまえにし、彼女を批評することは彼女の人生に失礼なことだと自問自答した。
 100人内外の大黒屋倶楽部にはなんの照明もないが、照明の必要を感じさせない春日宏美の存在があった。彼女の不器用で正直な生きざまそのものが、ステージに溢れて魅力になっていた。
 この大黒屋倶楽部のオーナーである女将が、幕間にヴァイオリンをひいたが、これまた魅力あふれる演奏だった。上野浅草管弦楽団のコンサートマスターであり、天ぷら大黒屋の女将であり、このアンチームなホールのオーナーは、ここを根城に50回に及ぶ室内楽シリーズを主宰している。下町の女将さんには実に魅力的な人々がいる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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