写真展の質問「この写真どうやって写したんですか」圧倒的に多い。パリではまったく無かった質問である。
勿論なんの反応もなく見に来られるよりずっと有難いのだが、機械的なシステムばかりに興味をもつというのはどういうことだろうと、考えてみた。作者としては露出や絞りのことはどうでもよく、素材と映像とキャプションの完成度が問題なのだが。
日本の写真愛好家はとかくテクニックばかりに興味を持つ。この人たちは写真愛好家というより、撮影愛好家なのかもしれない。
これは多くのカメラ雑誌にも責任はある。テクニックやカメラ情報が紙面を覆っている。そのためどこへいっても直ぐにデータを気にする。データを知りたがる。
データを知っても撮れないものは撮れない。サイバー戦争を仕掛け世界中からデータ泥棒をしている中国人と似ているところがある。
そこに展示されている作品がすべてであって、その作品のなかに土足で踏み込むのはあまり感心しない。
これはパソコンでどう処理するんですか。アタマからパソコン信仰がぬけない。
「パソコンは使っていません。フォトショップは嫌いです。それにパソコンの技術はもっていませんから。」と答えると大層ご機嫌ななめになる。ひょっとするとパソコン・メーカーか、ソフト・メーカーの方か、と思われるほど機械信仰が強いのだ。
作品の流れや傾向をよみとって、そこに質問をぶつけてくるのは、パリのお客さんだった。文化通信省のオデール・フランクさんは2時間の対談すべてをキャプションの意味と映像化の背景について話会い、時間が足りないと言って再度の対談を申し込まれた。
客のなかにはこんなことをいう客もあった。「お花がこんなに沢山きているが、どうしてですか。」こういう人にお付き合いですとか、義理ですとかいっても通じないので、「いやぁ銀座にはお花屋さんが多いですねえ、」このくらいの答えが丁度いい。
「立派なギャラリーですが、ここの会場は一日いくらですか?」「いいえ、この会場は貸会場ではありません。オーナーの理解で使わせていただいています」本当のことだが、そんなことがある筈はないと再度聞いてくる客もいる。多分その人には「文化のためのボランティア」などという高邁な精神は通用しないのだろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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