ぬるま湯の戦場ジャーナリスト

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 安田純平さんがやっと解放された。
 安倍総理みずからカタールとトルコには大変お世話になったといっているので、シリアのヌスラ戦線に対して、身代金を払って解決したことはたしかだ。ヌスラ戦線の身代金ビジネスは、一人当たり300万㌦から2700万㌦といわれているのて日本円にして3億円から30億円、そのどこかに落しどころが隠されている。
 何時の頃からかテレビのワイドショウなどに戦場カメラマンと称する人が登場するようになった。世界の大手通信社のクレジット付戦場写真はまま眼にすることはあっても、テレビにでている戦場ジャーナリストや戦場カメラマンのリポートなり写真をみることはほとんどない。この人たちはほんとうに戦場で仕事をしているのかどうかたしかめようがないのだ。
 9.11同時多発ロのころから、テレビ局や新聞社は自社スタッフを戦地に派遣しなくなった。戦争を知らない人間を戦場に派遣してもリスクが発生するだけで無意味な報道が返ってくるだけ、泥水をすすり、塹壕で銃をかかえて何日も仮眠をとるだけの戦場の常識が彼らには全くなく、都会育ちのぬるま湯環境があたりまえのリポートしか返ってこない。
 戦場ジャーナリストも、難民キャンプを取材する難民ジャーナリストになっている。難民キャンプは戦場から逃れてきた人たちのための場所で、難民を取材しても戦場ジャーナリストとは言い難い。
 もっとも彼らにとっては難民キャンプを背景に1分ほどの現地生中継をこなせば、4万程のギャラがふりこまれる。一分4万円ということは一時間240万円のタレントになった計算だ。戦場で働きたいというのは、おおよそ難民キャンプを覗きたい程度なのが日本の現状でもある。
 戦場ジャーナリストや戦場カメラマンを志すならば、まず国内の自衛隊で何か月かの体験入学をし、戦争のリアルを知ってから紛争地に向かうべきだろうし、もっといえば欧米の外人部隊に参加して戦場を把握してから、戦場ジャーナリストを試みられたらよかろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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