銀座の柳がとうとうカツラに敗れた。
銀座の並木といえば見たことのない人でも「ヤナギ」と答えるほど、ぎんざと柳の仲は濃密な間柄だったのだが、オリンピック2020に向けて、銀座通りにはいま着々と「かつら」の木が植えられつつある。「巴里のマロニエ・銀座の柳」と謳われた柳ともお別れである。
銀座うれしや柳が招く / 招く昭和の人通り/ 誰を待つやらあの子の肩を/ 撫でてやさしい糸柳……半世紀に渡って歌い継がれてきた唄は、四谷文子に始まり、初代コロムビア・ローズ、島倉千代子と受け継がれ、全国何百の銀座通りでそれぞれのご当地シンガーによって歌い継がれ今日を迎えている。
地方の駅前銀座には並木をわざわざ柳に変えて町ずくりをしたところすらあるという、それほど柳のイメージの強い銀座だったが、「かつらの木」には勝てなかった。
柳の木は成長するに従って枝がたれさがってきて邪魔になる。それを風情ととらえないで邪魔ととらえるのが近頃の価値観のようだ。撫でてやさしい糸柳などと受け取る感性はまったくない。邪魔といわれては柳もさぞ悲しいことだろう。
さらに追討ちをかけたのは、野暮な建築法の規制だ。車道側では地上4.5メートル、歩道では高さ2.5メートルという規制があり、かなり短く剪定しないとみとめられないというのだ。そよぐ柳の枝の美しさなどといっても問答無用。相変わらずの役人の脳みそだが、銀座の象徴として年月を紡いできた柳もバッサリと切られてしまった。
カツラに決まったポイントは、他の通りにないこと、日本原産であること、葉っぱのかたちがハート型で洋風な銀座にふさわしく、若い女の子には絶対受けるといったヨコシマな点、更にもっといえば桂は高木にして落葉樹なので、クリスマスのイルミネーションに絶対有利という、なかなかのプロモーション魂である。枝に電線を巻き付けやすい、とはなんともクチアングリの桂の並木道である。
かって自動車の排気ガスに強いからと植えられてシャリンバイは低木で銀座の人々からは嫌われ、散々だった例もある。明治からたびたび復活してきた柳も、クリスマスの電飾に勝てずとうとうご臨終を迎えた。 これからはカツラの木に頑張っていただくしかなかろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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