軽井沢には巨大なアウトレットがある。
中山道由来の軽井沢よりも、この軽井沢プリンス・ショッピング・プラザのほうが軽井沢の顔になってしまった今日この頃だ。都会から友人がくると、女子供はまずこのアウトレットに行きたがる。明治以来の宿場の遺跡や、沢山ある文学碑、数々の美術館よりも、まず行きたがるのがアウトレットだ。こんな物欲まみれの日本人を育てたのは……などと云うとウザイと反発され、故なく嫌われるので、いってらっしゃいと笑顔で送り出す。
となりのホテルに所要があり、時間の都合でアウトレットを覗いて驚いた。
そこは日本ではなく中国だった。いかにも中国風な花飾りに巨大な慶祝国慶節のモニュマンが鎮座している。はてここは横浜中華街かと錯覚した。いやアウトレットは中国資本に売られてしまったのかと一瞬不安がよぎった。中国人の観光客が大声でわめきながら記念写真の撮影大会をしている。ショップでも国慶節の祝いやら、国慶節の割引が掲げられている。中国版大型連休をあてこんで、共産党万歳のモニュマンを飾っているのだ。
日本でありながら、にほんの祝日に幟をたてたり、花飾りをしている光景を軽井沢ではついぞみたことがない。
たまに駅にある飾りは、G7まであと何日と表示するカウントダウン・ボードやら、カーリングが勝ったとか、国の祝日を祝うという意識はまつたくない。
さきの戦争で負けるまでは、どこの家でも祝日には国旗をだし赤飯を炊いたものだが、敗戦とともに国旗を忘れ、国家の祝日はただのイベントデーのごとく片隅においやられてしまった。反日日本人の左翼の罠に落ちてしまったのが、こんにちの日本人の実態なのだ。自分が生まれ暮らしている国を、愛することを忘れた悲しい日本人が圧倒的に多くなった。
アウトレットの巨大な慶祝国慶節は商人たちのさもしい根性、毛沢東の国慶節を祝ってもいいが、その目的は金儲け、共産革命を祝う気持ちなどすこしも無いのに旅人の懐をねらう、かっての軽井沢宿飯盛り女にも似た悲しいゼニゲバぶりである。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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