赤ん坊・飴だま・次はなに?

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 この国は昔から「礼法」の国といわれ、「礼儀」ということばは、教育の基本だったし、社会生活の常識だつた。
 ヨーロッパの先進国が、日本を評価したのも日本人の礼儀とか、親切にたいする尊敬の念からだった。後進のアジアにあってジパングはどこか違う。芸術も民度もほかの有色人種とはことなるところが、素晴らしいと、評価されてきた。
 市会議員がわるびれもせず赤ん坊を抱いて議場に入ってくる。人の迷惑を考えない。市の将来を論じ、考え、議論することより、わが赤ん坊の方が大事だという堂々とした主張だった。議会場も一瞬にして権威を失い、ベテラン議員は右往左往、熊本市議会は混乱した。
 一年たって同じ議員が今度は、飴だまをしゃぶりながら、質問にたった。議長は慌てて、「品位をおとすから、飴だまはすてなさい」と注意するも、議員は拒否、喉がいたいので声が出ずらい、だから飴だまはなめつづけると主張、議場は混乱のすえ暫時休憩。
 開かれた懲罰委員会でも、飴だま議員の女は謝罪せず、どこが悪い喉が痛たかったから飴だまをしゃぶったのであって、私に悪いところはない、と再三主張、八時間の無駄をしたというのが、最近のスキャンダルである。
 軽井沢でもインターナショナル・スクールの女理事長が、パーティーの席に乳母車ごと赤ん坊つきで登場したことがあったが、多分この次は暑いからとシースルーか、ゴムゾーリで議場にはいってくるのだろう。場を心得ない、礼儀をしらない、目立ちさえすればいい、こんなデンツー娘みたいなのが、堂々とまかり通おる世の中になってしまった。
 議員の緒方夕佳という人は東京外大の米英科をでたのち、アメリカ・ヴァージニア大学で紛争分析解決学部なる勉強をして、沖縄平和協力センターで反対運動をしてきた人なので、議会をざわつかせることなど朝飯前の筋書き入りなのだ。ネット通販をしている旦那も知らん顔で、赤ん坊などあずからない。飴だまは拙いから、喉スプレーにしなさいというようなサジェッションもしない。
 アメリカの砂漠で教育されてきた人たちには、結構こうした非常識人間は多い。T.P.Oなどという舶来の礼儀もしらない。
 TBSの朝のワイドショウを司会している夏目某は、この人を議員に選んだ一般市民がいるんだから、この人の行動はうけいれるべきだと、とんでもなく阿呆な意見をいっていた。 礼儀も作法もないメディア芸者には呆れる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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