オメデトウございます。○○テレビの○○です。
ニホンに帰ってこられて、いまどういう気分ですか?
「アァー、ネムタイ」……そりゃそうだろう、さっき羽田についたばかりで、眠くて当たり前だ。
今イキタイトコロありますか?
「ハラジュクいきたい。」……そこらのお上りさん観光客とまったく変わらない。「ユーはなにしにニッポンへ」のほうが少しはましである。
なにか食べたいものありますか?
「オスシ、オイシイ!」……多分彼女のいうオスシとは、サーモンとカリフォルニア・ロールのことだ。西海岸のスシは鮨ではない。
ちなみにパリでは、足を広げて鰻を食べている彼女に遭遇した。
インスタグラムにどんな写真をのせたいですか? 「 …… ? 」
質問もここまでくると、女子アナインタビュアーの馬鹿さ加減は、神の領域にせまってくる。
テニスのことはなにひとつでてこない。一般人は彼女の普段を知りたいからこれでいい、とテレ朝の上から目線・玉川徹は発言していたが、こうした地上波のオバカなスタッフによって、一般人はますますテレビから遠ざかっていくという現実をしらない。
日本中が大坂なおみ、大坂なおみの大合唱なのだ。
日本語がよくわからないから、答えは英語になっちゃう。 カワイイ、どこがカワイイのかよく判らない。ここ一年日本語の勉強をしているというが、日本の文化に興味がなかったから日本語の勉強をしてこなかっただけのことだろう。
日本をどう思いますか? 「長い休暇でいるような気分……」
二重国籍の彼女にとって、やはり故郷は西海岸であり、ハイチなのかもしれない。
22才までには、二重国籍を解消しなければならないそうだが、いまや大勢の人間を抱えてしまった彼女には、日本人になるしか選択肢は残されていない。日本人でいれば、65吋のテレビも届くし、ニッサンGTRももらえる。
スポンサーがすべて日本企業なのだから、スタッフを食べさせるためには、日本人になるしか方法はない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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