陸上は混みあっているので海上に空港を作ろう、バブルに躍っているころの発想だった。
あの頃の日本人はみんな頭のネジがすこし狂っていたような気がする。水深18メートルの海底に強固な岩盤があるから、そこに空港をつくれば絶対に安全で騒音問題も解決できる海上ハブ空港ができる。
権威ある大学のせんせいたちが、慎重に調査してお墨付きをあたえた。こうして世界に開かれた嘘つき空港が完成した。
以来、インバウンドの玄関として関西空港は世界にひらかれた。
ところがどうしたことか一期島は3.4mも地盤沈下してしまった。護岸工事をいくらしても止まらない。50年にいちどの高波に備えて海面から5メートルも嵩上げしたのだが、今回の台風であっさりと破られた。
いまでも年間6センチずつ地盤沈下はつづいている。南海トラフ地震がくれば、関空はそっくり水没するだろう、とすら言われている。
ヤクザであれば、アタマを丸め、ユビを詰めてお詫びするところだが、権威ある大学の先生たちは、想定外だから、とケロリとしてる。
空港へのアクセス橋はタンカーがぶつかってあっさりとずれ、使用不能となった。バックアップ用の橋はどこにも作っていない。
設計段階のいい加減さが暴露された。一部では海底トンネル方式にすれば、航路問題も漁業権問題も解決できるという主張があったが、あっさりと葬りさられた。
すべてはオリックスの金勘定と、無責任な権威ある先生たちのサジェスチョンが原因なのだ。
地盤沈下の最適の対策といわれている護岸工事も、これ以上これ以上岸壁を高くすると、飛行機の車輪が引っかかって着陸できないという危機が待ち受ける。
浸水した水も早急に排水して滑走路を乾かさないと、ウミネコが集まってきて大変なことになる。中部国際空港では2007年に一万羽以上のウミネコが集まって空港閉鎖に追い込まれたことがある。
バード・ストライクは、巨大なジャンボすら墜落させてしまうのだ。かくして世界一の海上空港は、世界一のお荷物になりつつある。
関空という世界一のお荷物
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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