軽井沢から15分程南に走ると「桃源郷」と呼ばれている地域がある。
なだらかな里山にそって桃の木が見渡す限りある。春、桃の花が開いたころ、「桃源郷」に相応しい景色があらわれる。桃の花の色付きははんなりとやさしく、控えめで美しい。
観光地ではなく、地元の農家の果樹栽培なので、落ち着いた花の実りを楽しみながら、散歩するにはとてもいい山里である。春になるとアルマーニのスタイリストがあらわれ桜は見飽きたから、桃の畑に連れていけと命じられ、度々おともをしたこともあった。
日頃お世話になっている岡村さんが、見事な桃をとどけてくださった。岡村さんは「桃源郷」の近くに住んでいるから本物にちがいない。
じっと桃を見つめていたら、学生の頃を思い出した。
「桃李不言 下自成蹊」 桃李もの言わざれども、した自ら蹊を成す 桃もスモモも黙って美しい花を咲かせ美味しい実をつける。桃李は人格者の例えで、徳があれば自然と人が集まり、小路ができる。
成蹊学園建学の精神で、校章にも桃の実が登場する。キャンパスにも、中村春二先生の書碑がふたつあるし、ケンブリッジ以来の仲間であった三菱の岩崎小弥太、今村銀行の今村繁三とともに9万坪のキャンパスをみまもっている。
桃は成蹊で学んだ人間にとって特別の意味をもっている。筆者のみならず安倍晋三首相においておや、「桃李不言下自成蹊」の教えは生きていると信じたい。
オトモダチ内閣とまま、メディア・リンチに会っている安倍さんだが、成蹊学園の誕生こそ、中村、岩崎、今村のオトモダチなしには出来なかったことを考えればけだし当然のことで、品性の陶冶や国会における凝念の時など、成蹊の教育理念が色濃くでているのが、安倍晋三という政治家なのだろう。
桃李不言下自成蹊
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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