築地のネズミは何処へ

by

in

6mkczf4kDZROF87YIom.jpg
 田舎のネズミが、うっかりして都会行のトラックに乗ってしまい、着いたところが東京の真ん中中央区築地市場、歓びいさんでコンテナーから青空のもとへ。単調だった田舎の暮らしから解放され、いよいよ大都会の暮らしが始まる。と思いきや、都会の棲み分けルールは厳しく、親方のところへ挨拶にいって許しを得なければ、餌の豊かな市場内には棲めない。
 お百度を踏んでも許しは出ず、田舎のネズミはやむなく隅田川対岸の勝どきあたり佃煮やに居をさだめた。
 その頃、築地ではとんでもない事件が起こっていた。都の女主人公が「豊洲を生かし、築地も生かす」と発言していたので、ネズミ達一同すっかり安心していたのに、ここへ来て突如10月から築地の解体工事を始めると発表された。
 水産卸売り、仲卸し市場に棲みついているドブネズミ一同、青果仲卸しに棲んでいるクマネズミ一家、引っ越さなければならない。いい部屋ネットや、アパマン・ショップにかけこんでも、歓迎されない。パリのように巨大な下水道が地下を縦横にはしっていれば、とりあえずのスマイはなんとかなるが、築地辺りの下水道では口径もちいさく、ネズミの住まいとして適当ではない。思案投首、あれやこれやと議論しているあいだに、東京都は次々と手を打ってきた。
 築地市場場内、場外すべてをトタンで囲み、ネズミをせん滅するというのだ。去年は1200匹の仲間が命を落とした。ネズミ族全体からすればわずかだが、こうした人間の行動を許しておけばますますつけあがる。トタンの包囲網が出来上がる前に引っ越しするか、それともトタンの壁の出来上がりを横目に専用地下道からゆうゆうと脱出するか、二つに一つの道がある。どうせ近頃の人間は間の抜けたのが多いから、そんなにあわてることもなく、お出入りのコンテナーに分乗してそれぞれの田舎をめざすのもいい。
「俺はフグが好きだから下関へいくぜ」「キンメ好きは下田港がいいんじゃない」「この際大間のマグロをたらふく齧ってみたいから青森行」それぞれに夢をふくらまし、産地帰りのコンテナーをチェックしている。
 ネズミは感染症の媒介をするし、電線を齧って火事も起こすから危険だっていうが、俺たちネズミの能力は人間様のあしもとにも及ばない。
 人間様の媒体能力はネズミの数万倍だし、電線をかじらなくとも毎日どこかで火事を起こしている。それなのにネズミ、ネズミと目の仇にするのは、パワハラ、セクハラのとばっちりじやないのか。エッ人間様。
 ネズミがゆっくり住める贅沢な下水道でも作ってから、ネズミに矛先をむけてもいいんじゃない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ