軽井沢の夏は、旧道のお諏訪様の花火で終わった。8月20日の夜。
花火の最後は決まって、峠の釜めしの仕掛け花火だった。おかごを担いで峠を登りきったところでナイアガラになる。ナイアガラの花火の終わりと共に、軽井沢の夏も遠くにいってしまう。「ご機嫌よぅ、来年の夏までお別れですが、お元気で……」あちこちの別荘には雨戸がたてられ、門のまえに錆びた鎖が張られ、主のいなくなったことを知らせる。
近頃では、入れ替わりにアウトレットのセールが始まる。セールでは毎晩景気ずけに花火が上がる。両親の買い物に付きあわされてきた子供たちにとっては最後の絵日記の素材かもしれない。横のステージでは、都会からやってきたタレントの握手会がひらかれている。どこかの餓鬼タレントにちがいないが、若い娘が行列をつくっている。舞台のうえではしっかりと手を握った娘がタレントにしきりになにか訴えている。彼女にとってはこの夏のクライマックスなのだろう。
アウトレットのセールを追っかけて、街にはなんとなく警官の数がふえる。地元の警官とことなり、不自然なところに警官がたまっている。
天皇皇后の軽井沢滞在である。美智子皇后の草津音楽祭登場のためのリハーサルが、軽井沢で密かに行われる。お相手の超一流音楽家たちは、町内のホテルやペンションで待機する。最上の楽器を抱えてきて、酷暑の夏にいつお声がかかるか判らないにもかかわらず、じっと待っている音楽家もお気の毒なことだ。
夏の軽井沢には、作家たちのセールもある。アトリエで作家の生きざまを横目に、手にする作品には生命力がある。最近はガラス作家の河上恭一郎先生のセールに伺い、毎年一枚二枚と作品をわけていただいている。銀座の和光にいけば、先生の作品はあるが、デパートで手に入れるのと、森のなかのアトリエで対峙する作品では、まったく表情が異なる。菓子によって来るアリンコを遠ざけ、木洩れ陽のなかで先生のお点前でお茶をいただきながらの時間はシアワセの空間である。
タクシーの運転手さんの顔もかわる。夏の繁忙期には昔働いていた運転手さんがもどってきたり、若い軽井沢しらずの運転手さんが増える。町中渋滞のときの抜け道交通では、半世紀以上通っているこちらの方がはるかに道にくわしい。
……そんなこんなで軽井沢の夏は終わる。
軽井沢の夏が終わる
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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