阿波おどりがもめている。
市長と観光協会と地元徳島新聞の利権争いのようにも見える。南内町の演舞場に人気が集中し、ほかの三つの演舞場の人気がいまいちなので、四つすべての演舞場に観客がいきわたる様に、今年から総踊りの連の配分をし直す。
もはや阿波おどりは、夏の巨大な興行に成り下がってしまった。阿波おどり本来の目的は雲散霧消し、チケットが売れたか、売れないか、のみが話題になり、新聞社が取り仕切っても、ヤクザがとりしきっても、まったく変わりのない状態になってしまった。かえってヤクザが仕切ったほうが、赤字がどうの、黒字がどうの、がなくなって庶民の税金が狙われることもない。
阿波おどりの始まりは徳島城のお城工事の完成祝いといわれるが、踊りの様式からいえば、それ以前の精霊おどり、御霊しずめの念仏踊りに原点があったことは明らかだ。盆踊りとして、帰ってきた新しい精霊を慰めるための踊りである。
むかし徳島の郊外の田園風景のなかでみた阿波踊りは最高だった。観客のひとりもいない田圃の畔を、10人足らずの連がひたむきに踊っていく。祖霊を慰めるということは、こういうことなんだ。という魂の祈りが見えた。ライトもなく、マイクの喧騒もない阿波の念仏踊りとは、こういうことか、と感動した。
おどりに観客はいらない。あの世の祖霊と、現世の子孫がいれば、それで充分成り立つまつりだ。
新聞社やら、観光業者やら、代理店やら、よってたかって商売にしようとする輩がいて、祭を堕落させている。
信州にもいろいろな盆踊りがある。
長野びんずる、飯田リンゴン、丸子ドドンコ、上田わっしょい、小諸ドカンショ、そして松本ぼんぼん等々……松本ぼんぼんにいたっては、それまでお城の周りの少女たちがささやかにやっていた盆の唄めぐりを横取りし、行政と財界が金のちからでイベント化してしまった。松本ぼんぼんという可愛らしい名前まで収奪し、盛大に市民祭松本ぼんぼんとしてやっている。
軽井沢では宿場の盆行事としていろいろあったが、明治から大正にかけてのキリスト教牧師たちの来軽によって、弾圧されてしまった。キリスト教関係の神父や牧師たちの夏休みと、盆行事がぶつかったことで、日本人の伝統的習俗を失ってしまったのだ。
あの頃の布教団はいまでは美化されているが、当時は決してそんなものではなく、日曜は安息日だから商店を開けるなとか、仏教催事はするなとか、暴力団のような一面をもっていた。
阿波おどり商業化のむくい
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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