鼠が喜んだパリの洪水

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 「地震、雷、火事、親爺」少年時代、悪ガキどもの怖いものベストフォーだった。
 其れが今では「地震、津波に大雨、洪水」親爺はどこかへ消えてしまった。親爺どもは、憲法改正反対、モリカケ追及、安倍おろしとまったく意味のない重箱のすみで一人遊びにふけっている。
 バリでも随分質問された。安倍首相はいったいイクラ貰ったの? いや一銭も貰ってないよ。なんでマスコミがさわでいるの。多分安倍さんが嫌いだから騒いでいる。へえ、日本って国は不思議だねぇ。
 このところパリでも洪水が起きている。セーヌ河の氾濫である。
 3年前の撮影行の折もセーヌの氾濫に直面した。シテ島の先端のアムール・パークも水没し、オルセー美術館もルーブルもみな休館となった。ならばと北のペール・ラシエーズの墓地へ行った処、あの広大な墓地までも水がでて閉鎖だった。
 今年のセーヌ河も異常に水位があがり、観光船や船で暮らすいわゆるペニッシュの人々は大変だった。水辺の遊歩道や岸壁が冠水したため、ペニッシュの人々は質素な桟橋をつくったり、岸からロープをつないで、日用品の輸送に使ったりしてしのいでいた。今年の冬は暖かくみな喜んでいたところ、2月大雨に見舞われ上流のダムが二つとも満杯になり、放流せざるをえなかった。普段水深2メートルほどのセーヌ河ガ6メートルになり、観光船はみな動けなくなった。3日目には水のひく日本と違って、セーヌが増水するとひくまでに最低でも3か月かかる。美術館のみならず、地下鉄のサンミッシェル駅、ソルボンヌ駅、アンバリッドなどみな閉鎖された。
 水が出ると、パリの街に鼠がふえる。約220万匹が暮らしている鼠たちが、下水道から出て、街中をうろつくというのだ。不愉快だし、鼠たちは腸チフス、しょうこう熱などの伝染病を連れて街中をうろつくので困りものだ、と嘆いている。くれぐれも鼠に注意、女のねずみはシアワセかもとウインクされた。
 セーヌ河に近いサンジェルマンのギャラリー街も湿度が上がり大変だった。急遽除湿器をいれたり、電気をつけっ放しにして湿度調整したり、地下室はあらかたクローズしていた。
 狭いセーヌ通りの地下には、セーヌのこぼれ水が濁流をつくっていたのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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