こころ残りの サロン・ド・テ

by

in

img_5393.jpg
 さぁ今日は何処でお茶しようか、とベットから起き、顔を洗いながら考える。
 左岸には、かっての文学カフェやら、サルトルに愛されたカフェ、あるいは画家たちがたまりにしていたカフェは沢山あるのだが、優雅に女性と語らう時間を包み込んでくれるようなサロン・ド・テは少ない。
 東急文化村にもあるレ・ドゥ・マゴや、となりのサルトルが住んでいたカフェ・フロールも悪くはないが、いまいち落ち着かない。サロン・ド・テと書いてあっても、基本カフェなのだ。寝ぼけた顔で頼むショコラ・ショーは、なんとなく雑味が多く、ショコラに洗練味がない。
 そこで100メートルほど歩けば、LADUREE ラデュレのボナパルト店がある。
 ラデュレはデートにぴったりのシャンゼリゼー店やマドレーヌ店もあるが、このサンジェルマンにあるボナパルト店もなかなかに素敵だ。外観からはマカロンの専門店に見えるが、因みにマカロンはラデュレから始まったのだが、一階の奥はサロン・オリエンタル、二階はサロン・ブルーと名付けられたサンジェルマンの隠れサロンになっていて、美味しい紅茶とケーキを食べながらの、ブラインド・デートには絶好の舞台装置なのだ。
 フランス政府は何かにつけて、ルイ14世に仕えた名門マリアージュ家が創設したマリアージュフレールを推薦するが、あまり好きになれない。これ見よがしの紅茶の種類、そんなに沢山みせられても、それぞれの味かわからない。紅茶道具の展示にしても博物館にきたのではなく、美味しいお茶をのみにきたのだから、もっとゆったりと飲ませて欲しい。サロン・ド・テの役割をはみだして、マリアージュ家のデモンストレーションにつき合っているような気分になる。ギンザの店もそうだが、どことなくうっとおしいのだ。
 ショックだったのは、スクリーブのグランドフロアにあったアンテ・リュ・スクリーブが無くなっていたこと。
 リヨンのCHA YUANの葉を使い、贅沢な茶器で日替わりで飲ませてくれたあのサロン・ド・テが、経営合理化の名のもとに整理されていた。
一階のゆったりとしたサロン、らせん階段で登った二階のブック・サロンには空間の贅沢があった。仙台の代理店を通して取り寄せていたYUANの茶葉にも、会えなくなってしまうのかと不安がよぎった。
 エッフェル塔を望むトロカデロの「カレット」、フィガロ紙でフランス第一位となったエクレアを薦めてくれた美しい彼女はまだ働いているだろうか。タイトな黒いファションに身を包んだジェンヌ達の魅力と、ショコラ・ショーの美味さ抜群の「カレット」に足を運べなかったのが、心残りである。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ