頑張れ、パリのBENTO 十時や

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パリに一か月もいると、日本食に飢えてくる。
 沢山ある日本食レストランやラーメン屋でもいいが、もう少し日常的でなにげない頑張らない日本食が食べたくなる。そんな時、味方になってくれるのが、サンタンヌ通り46番地のBENTO屋だ。オペラ座を背にルーブルに向かって間もなく、スタバを左に入るとまもなく「十時や」の看板が見えてくる。
 その「十時や」こそが、飢えた日本人の味方なのだ。近頃では、BENTOの単語がフランス人にも普及し、昼飯どきには結構パリのOLたちが行列をつくっている。
 十時やのメニューは、日本のコンビニのメニューを超えている。
 唐揚げ弁当、天ぷら弁当、鮭弁当、コロッケ弁当、海老フライ弁当、豚カツ弁当、ハンバーグ弁当と勢ぞろいしているが、嬉しいのはそれぞれの弁当に客の好きな三つの総菜をサービスしてくれる。総菜は、卵焼き、わかめとキューリの酢の物、ひじき、きんぴら、筑前炊き、ポテサラ、など等、もちろん総菜だけでもうってくれるのだが、弁当に総菜3品のサービスというのが、飢えた食欲にズシンと響く。
 おにぎり、寿司もあり、テイクアウトのうどんプラス出汁も用意されている。奥にはイート・インのスペースもあり、そこで済ませば持ち帰る必要もなくなる。
 オペラ座ガルニエの気取った客のなかには、帰りに十時やで弁当を買って帰るという上客もいる。
 3年ほど前の撮影行では、アシスタントがいつも十時やの弁当を買ってきてくれた。本人はすぐ側にある ACE BENTO で焼き肉弁当を買ってきていた。ACE BENTO は韓国料理専門なのだが、BENTO がパリで市民権をえたので、韓国料理にもかかわらずわざわざBENTOと名乗っている。
 16区ギマールのアールヌーボー街にも、この十時やの姉妹店七菜やが店を出している。
 豪華なギマールのアパートに住むアラブやイギリスの金持ちにも、この日本のBENTOは愛されているのだ。中国人やベトナム人の経営する日本食レストランより、はるかに日本人のDNAが生きている十字やのBENTOであることは確かだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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