パリで仕事をしている二人の若者……ふとしたことで知り合い、パリへ行くと必ず3人で食事をし歓談してきた。その年話題の店を彼女がチェックして、予約を入れてくれるのだ。遠い異国で夢をもって仕事に埋没している若者の姿は嬉しい。
ある時彼女との会話のなかで、「壇蜜」という名前が登場した。当時日本では彗星のように現れた「壇蜜」が話題になっていた。いろいろな職業、英語教師、調理師、クラブホステス、遺体衛生保全士、と渡り歩き、グラビア・アイドルとして登場、長い黒髪と妖艶な雰囲気で男どもをノックアウトしていた。
その壇蜜と昭和女子大で同窓だったというのだ。Yukiちゃんには壇蜜のような愛人ムードはまったくない。ひかえめでいつも真面目な顔をしている。フブサントノーレの超高級ホテル、マンダリン・オリエンタル・ホテルで最近まで働いていた。
彼女との会話のなかで、「彼が信奉するKIYOSHI」が登場した。よもや想像もしなかったイシワタリ・キヨシの名前に驚いた。キヨシの全盛期はほとんど星野和彦が演出していた。世界のベストスリーと謳われたキヨシと星野和彦は不可分のアイコンなのだ
Tsumeはパリにくる前、東京でキヨシの仕事を見、海外でのキヨシの活動を尊敬していたというのだ。彼はいまパリでコマーシャルのコォーディネートからファッション雑誌、あるいはコレクションの楽屋と、ヘアスタイル、メークアップの仕事で飛び回っている。
そんなことから、YukiとTsumeと星野君との絆が深まった。
「いまブロードウェイに来てます。ベルニサージュまでにはパリに戻ります。」そんな葉書がきたと思えば、南仏のラベンダーの種を送ってきたり、いまインドのなんやら療法を学びに来てます、と行動的の極みなのだ。
今年は三人でクレージーホースも楽しんだし、奥田の懐石料理も行くことができた。
今回のパリ個展では、この二人に本当に世話になった。
ベルニサージュの接客から不便なタクシーの手配、あるいはフナックのレコード探し、プランタンの最新レストランまで、ブラッセルの行き返りには北駅のホームで荷物をうけてくれたり、ドゴール空港の別れではいつまでも手を振ってくれた。
YukiとTSUMEの二人の友情には、いくら感謝しても感謝しきれない。
パリのふたり・TSUMEとYUKI
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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