ギターの最高峰・ギブソンの倒産

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 君はレスポール派か、それともストラト派かと言われた、全世界の若者憧れのギター・メーカー「ギブソン」が倒産した。
 1952年に発売されたギブソン・レスポールはまさに伝説の名器だった。この年レスポールが発明した世界初の8トラック・テープコーダーもアンペックスから発売され、ギブソンの名声は最高潮だった。 おりしもレスポール&メリフォードの歌ったVaya Con Diosが世界的ヒットとなり、ギブソンの名はレスポールと共に超ブランド化した。
 当時はまだギターがフルバンドにとって代わるとは誰も想像していなかったが、ギブソン・レスポールという世界初のエレクトリック・ギターの発売をきっかけに、音楽はロックンロール、そしてロックの時代へと変わっていった。
 ピアノのスタンウェイ、ヴァイオリンのストラドヴァリウス、などに並んでギターのギブソンの地位は不動になった。ブルースの王様B.B.キング、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、さらにビートルズのジョン・レノンも愛用していたのが、ギブソンだった。
 倒産理由は海外事業の失敗と伝えられ、多分マネーゲームに浮かれて阿呆な不動産事業などに手を出したのだろうと想像されるが、こうした楽器メーカーは、一途にギター創りに邁進することがいちばん、代替わりしてジャンク・ファンドから資金調達して異業種参入などすると取り返しのつかないことになる。
 メープルとマホガニーの特性をすべて抑え、ざらついた荒っぽく激しいサウンドを創り出せるのは、ギブソンをおいて他にないというプライドこそが、企業の優位を創りだすことができ、メーカーに永遠の保証をもたらすのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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