遠足のお弁当、主役はおにぎりだった。
中ぐらいの大きさの丸いおにぎりが二つ、ひとつは梅干し、もうひとつには昆布の佃煮が入っていた。当世コンビニのおにぎりの如く、食べる直前にぱりっとした海苔を巻いてたべるなどという贅沢はなかった。作った時に巻いた海苔は、当然しっとりと冷たくシャリ感のない情けない食感のおにぎりになっていたが、それでもおにぎりをもって遠足にでかけるワクワク感とともに楽しい昼食だった。
リュックのなかには、リンゴとバナナとキャラメルも入っていた。そして水筒の水がすべて。昭和のひとけた世代には、サンドウイッチなどという洒落た弁当は想像もつかなかった。
うちは三角、うちは丸い、なかにはたわら型のにぎりをもってきた級友もいた。おにぎりのカタチが母親の故郷を想像させた。たわら型のにぎりは子供心に美味しそうに見え、みんなでたかったこともあった。ともに山の上でおにぎりを頬張ると仲間意識が芽生え、帰りは誰云うとなくコーラスの遠足になった。
おにぎりは日本人のソールフードといわれるが、一生にいくつのおにぎりをたべてきたことか。近頃のように赤飯にぎりから、ガバオライスにぎり、シーチキンマヨにぎり、梅しそにぎり、焼き肉にぎりと、豊饒なおにぎりの棚のまえに立つとシアワセがジワリとしみる。
40年ほど前、神楽坂に焼きおにぎり専門、おばあちゃんひとりの小さなお店があった。歌舞伎座への差入れは、この焼きおにぎりがとても喜ばれた。化粧していても衣裳付けの最中でも、一口で頬張れる小ささに人気があった。粋な竹のかごに入れて楽屋まで届けてくれた。
歌舞伎座以外は駄目だよ、道がわかんないから…なんでも通販の今では想像もつかないのどかな時が流れていた。
おにぎり愛に生きる日本人
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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